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能舞台における献花式(記念行事その4)

 

 創建360周年記念行事(その4)として、平成29年6月4日(日)午後2時半より、神事につづいて能舞台において、古流柏葉会の奉仕による献花式が斉行されました。何故鏡板とよばれるかについては、諸説があるようですが、後述する能楽用語サイトによれば、観客席におられる神様を映す板といわれるからとされます。古事記に記される天の岩戸のお出ましに使用された鏡について記す古事記の記述からしても納得しうる説といえます。それゆえ、鏡板の前での献花作法は、まさしく神様にお見せするための作法といえます。

図1は献花奉仕中の様子を示しています。

 

2は能舞台鏡板前に並べられた献花を示しています。

 

 

当社鏡板に描かれた松と梅、脇の鏡板に描かれた若竹にあわせて、中央向かって右側には梅を主位にして、松とつばきと菊の花を添えて生けられ、中央向かって左側には松を主位にして、つばきと菊の花を添えて生けられています。当社社殿の連子窓の格狭間(こうざま)には、上位(向かって右側)に梅が、下位(向かって左側)に松が彫られています。また、能舞台上では、観客に向かって左側が上位といわれますので、それらに合わせて飾られています。両脇には、控の鏡板の画にあわせて、若竹を主位にして、つばきとシャクヤクの花を添えて生けられています。なお、能楽用語に関しては、インターネットアドレス(www.the-noh.com/jp/index/html)を参照さしていただきました。

 社殿には、古流柏葉会家元殿による「彩流華 風の華」が奉納されました。

 

 

つばきを花材に、風が舞い降りてきた様子を生けていただきました。献花式当日はさわやかな風が境内を吹き抜け、生長の季節にふさわしく、また、創建360周年(6回目の還暦の歳)を迎え、新たな旅立ちの当社にふさわしい献花でした。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:29
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能舞台開きにおける能楽奉納(記念行事その3)

 

 平成29年6月3日(土)午後1時半より、小松能楽会により小松天満宮能舞台において能楽奉納式が斉行されました。当社の能舞台は、小松の能楽愛好家の方々の募金により、明治維新後に金沢に残されていた波吉太夫家の能舞台を移築し、日清戦争後の明治29年10月に能舞台開が行われたものです。昭和十年代の梯川改修工事により西方広場に移築されましたが、平成の河川改修により明治時代に建てられていた故地に戻って再建されました。

 能楽奉納では最初に義本高明氏らによる謡「翁」が奉納され、続いて、土居尚子氏らによる仕舞「老松」と長野 裕氏らによる舞囃子「高砂」が奉納されました。

 能楽奉納に先立ち、小松市長さんと小松市議会議長さんより創建360周年と能舞台開きを祝してご挨拶を頂きました(図1)。謡「翁」の奉納風景が図2に、仕舞「老松」の奉納風景が図3に、舞囃子「高砂」の奉納風景が図4に、また、観賞されている観客各位をあらわすのが図5になります。

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:23
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記念講演会と宝物館公開(記念行事その2)

 平成2963日(土)御前10時より1140分まで、小松市立公会堂4階会議室にて、筑波大学教授綿抜豊昭氏による記念講演会が開催されました。

当社初代宮司能順は明暦2(1656)29歳にて小松天満宮宮司に就任し、79歳にて亡くなるまで、50年近くの長きにわたり当社と北野天満宮の両社に奉職して、当時の文化の中心であった京都と加賀小松の文化交流に貢献いたしました。江戸時代連歌の第一人者といわれたこの能順を中心とする人々の業績について、当社宝物をふまえつつ講演していただきました。講演会後の63日午後と66日には、新装なった小松天満宮宝物館において講演に関連する宝物等が一般公開されました。また、授与所では綿抜教授の著書「小松天満宮と能順」の頒布が開始されました。以下の図1から図2は講演会の様子を、図3は多くの方々に来場いただきました宝物館公開で入場をまつ人々の様子です。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:15
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白梅の植樹式(記念行事その1)

小松天満宮創建360周年を記念して、平成2962日に、稚松校下町内会連合会により、竣工なった宝物館前庭に白梅が献木されました。

 図1、図2は植樹式に参加された小松市長さんと町内会長さん方です。

 

 

図3は白梅を植え込む様子を、図4は植栽された白梅を示しています。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:09
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記念行事期間中の臨時駐車場のご案内

小松天満宮創建360周年記念行事中の臨時駐車場のご案内

 

小松天満宮において記念行事の斉行される 6月3日、4日、6日には、下記のP1とP2の臨時駐車場をご利用下さい。

 

  

author:bairinnet, category:祭典・行事, 09:36
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小松天満宮能舞台における2つの奉納行事


小松天満宮創建360周年記念行事として、加賀藩ゆかりの能舞台において以下の記念行事を催行いたします。

 

1)平成29年6月3日(土)午後1時半より2時

    能楽奉納 

 

2)平成29年6月4日(日) 午後2時半より3時

    献花式

 

 

1)能楽(謡・仕舞・舞囃子)の奉納

 

    (6月3日(土)午後1時半より午後2時)

 

  • 小松城での町入能

 関ヶ原の戦の翌年、慶長六年(1601)に加賀藩二代藩主利長公は京都よりの帰途、小松城において後の三代利常公(幼名猿千代君)に対面され、小松住の諸橋太夫、波吉太夫に命じて市人を城中に入れての町入能を催されました。その後、三代藩主になった利常公は、寛永十六年(1639三国分立して小松城に退隠しましたが、城と町割の概成した慶安四年(1651)正月二日と四日に、小松の惣町中へ見物を許して小松城にて町入能を催しています。こうした町入能は小松の町に現代まで続く能楽伝統の源流となっているのであります。

 

  • 小松天満宮の能舞台

 利長公による小松城での町入能に奉仕した諸橋太夫と波吉太夫は、共にその後、代々、加賀藩能役者を勤めました。明治維新後に金沢に残されていた波吉太夫家の能舞台は、小松の能楽愛好家の方々の募金により当社に移築されました。明治27年5に上棟祭が斎行されましたが、直後に勃発した日清戦争のため、造営工事は中断し、野ざらしのままで放置されていました。日清戦争後に工事が再開され、鏡板を除いてほぼ新築同様の能舞台開が斉行されましたのは明治二十九年十月十六日、十七日でありました。能舞台開番組の最初は佐野吉之助、筒井傳七らによる「高砂」でありました。

 当社の能舞台は,その後、昭和十年代の梯川改修工事により西方広場に移築されましたが、平成の河川改修により明治時代に建てられていた故地に戻って再建されました。

 

1) 当社能舞台開における「小松能楽会」による能楽奉納番組

平成の河川改修による移築にともなう能舞台開においては、「小松能楽会」の各位に下記の演目を奉納していただきます。

 

素 謡 「翁」

 謡曲「翁」は天下太平・国土安穏・千秋万歳・五穀豊穣を祈る儀式として示された目出度い曲目です。翁が、祝儀で謡うことにより、眠っていた天地の精霊が目覚め躍動するのです。目出度い式典において最初に謡う曲です。

 

仕舞 「老松」

 太宰府天満宮(菅原道真公の菩提寺が「安楽寺」であったことから、安楽寺天満宮ともよばれていました)へ道真公を慕って飛んできた梅(飛梅と言われている)と松(後を追った老松、追松とも解釈される)を称えてあり、老松の神を中心にして梅を配した菅公ゆかりの曲目であります。松は、長寿を寿ぎ、梅は若い美しさを称えています。梅は、文学が盛んな時は、色も匂いも優れているので“好文木”と名付けられたことが、語られています。日本の国歌“君が代”の歌詞にも「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と、「老 松」の一部より抜粋されています。

 

舞囃子 「高 砂」 

明治二十九年の当社能舞台開で最初に演じられた曲目であります。また、藩政期に加賀藩の最も重要な年中行事に、正月二日の夜の謡はじめ(松囃子とも言う)の式があり、この時の囃子にも「高 砂」が謡われているように、お目出度い曲目であります。竹の熊手を持つ老翁と杉の  ほうき木  を持つ老婆が舞台となっている曲目です。高砂の松と住吉の松とは遠く離れているのに、なぜ  相生の松 と言われるのでしょうか。老翁は、私は住吉(大阪)に住む松であり、老婆は、高砂(兵庫県高砂市)に住む松であると答え夫婦と言うものは、例え遠く離れて暮らそうが 心を通わせあって 生きていくものだと答えるのでした。めでたい席上で良くこの曲が謡われるのも そのような意味があるのです。

   

 

 

2)献花式 (6月4日(日)午後2時半より午後3時)

 

  • 華道の歴史

 平安時代にかかれた「枕草子」に、「勾欄のもとに、あおき瓶のおほきなるをすえて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば。。。」と書かれたように、「いけばな」は古くから美の対象として親しまれてきました。現在に伝わる華道の歴史がはじまりますのは、上流階級の住居形態が寝殿造から床の間をもつ書院造に変化していった室町時代といわれます。床の間を装飾する立花

( りっか ) の様式が発達し、また、茶道の隆盛とともに茶席に飾られる茶花の様式も編み出されました。

 長い戦乱の世から平和な江戸時代になりますと、改めて人倫の道(人が日常生活において常にまもるべき道)の大切さが再認識され、徳川幕府が朱子学を官学としたこともあり、伝統的な東洋思想への関心が高まってきました。この時代風潮を背景に、江戸時代後期には、陰陽五行や天地人といった格式の中に自然の姿を生かす「

( かく ) ( ばな ) 」の様式が生み出されました。

 明治維新後には、華麗な西洋花や西洋建築が我が国に導入されると共に、植物や自然の個性を自由にいかした生け方としての「盛花

( もりばな ) 」の様式が編み出されてきました。 こうした「いけばな」の歴史と共に諸流派が、それぞれの流派の原点をふまえた伝統と現代社会の欲求をふまえた革新を両輪として、活発に活動しているのが現在の華道といえます。

 

  • 小松天満宮における「古流柏葉会」の献花

 

 創建360周年にあたり、藩政期の文化をつたえる当社能舞台において、「生花( せいか ) 」の伝統を受け継ぎ、平成14年斉行の菅公千百年祭をはじめ当社祭礼時の献花にご奉仕いただいてきています「古流柏葉会」に献花をしていただく次第です。

  ちなみに、江戸期の古流の家元は江戸の加賀藩上屋敷と縁が深く、将軍の加賀藩上屋敷への御成りや最後の藩主の祝言のときに床の間や各部屋に花を生けた克明な記録が多数残っています。その関係で江戸時代後半から江戸のみならず金沢や南加賀の門弟が多数おりました。

author:bairinnet, category:-, 04:46
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小松天満宮創建360周年記念行事のおしらせ

明暦3年(1657)年に加賀藩三代で小松城にて幼少の藩主にかわり監国されていた前田利常公により、御祭神菅原道真公の御霊を京都北野天満宮よりお招きして、当社が創建されてから今年で360周年になります。また、平成の梯川改修事業により移築工事中でありました当社宝物館と能舞台も無事竣工いたしました。

  今年は、これらの節目の時を迎えています。殖産興業や賑わいまちづくりにも力をそそがれ、裏千家初代仙叟宗室居士や当社初代宮司(別当)能順を小松に招いて郷土加賀小松の文化の礎を築かれた前田利常公をお祀りする小松神社例祭・小松商工祭の斉行される6月5日前後に、小松天満宮創建360周年記念事業を斉行いたします。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 04:07
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小松天満宮宝物館公開のお知らせ

1)宝物館公開のおしらせ

   

当社初代宮司能順は29歳にて小松天満宮宮司に就任し、79歳にて亡くなるまで、50年近くのの長きにわたり当社と北野天満宮の両社に奉職して、当時の文化の中心であった京都と加賀小松の文化交流に貢献いたしました。この能順を中心とする人々の業績にかかる当社宝物を長年にわたり調査・研究してこられた筑波大学教授綿抜豊昭氏による記念講演会と関連する宝物の展示を行う当社宝物館公開を下記のように開催いたします。

 

 

記念講演会

 日時: 平成29年6月3日(土)午前10時より11時半

 場所: 小松市公会堂4階大会議室(先着100名様)

小松天満宮宝物館公開

 日時: 平成29年6月3日(土)午後2時より午後4時

     平成29年6月6日(火)午前9時より午後4時

 場所: 小松天満宮宝物館

 

2)記念出版物頒布のお知らせ

 

小松天満宮創建360周年を記念しての出版物とその購入手続きについて下記のようにご案内いたします。

                                                        小松天満宮社務所

―――――――――――――― 記 ―――――――――――――

著者: 綿抜豊昭

書名: 小松天満宮と能順

内容: 加賀藩三代前田利常公により京都北野天満宮より小松天満宮の初代別当(宮司)に招かれた松雲庵(後に梅林院)能順の、小松天満宮と北野天満宮における業績の紹介と共に、連歌と俳諧の違い、霊元院と能順、能順と越前屋歓生、能順と芭蕉など、能順をとりまく人々とのかかわりについても関連古文書に依拠してとりまとめた小冊子です。

価格: 税込み 2000円

    郵送の場合は、郵送料 180円

申込み方法 小松天満宮授与所にて販売しています。

なお、郵送ご希望の方は、FAX 0761-22-9128 にて、 

住所、〒番号、氏名、書名 を明記のうえ、お申し込み下さい。

 社務所より郵便振替用紙をお送りいたしますので、金額 2180円を送金下さい。入金後、社務所より送本いたします。なお、郵便局発行の振込控えでもって領収書とさせて頂きます。

                                                          以上

author:bairinnet, category:祭典・行事, 17:00
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スダジイへの摘果剤散布と樹勢快復のきざし

 

 前回の散布より6日目になる本日早朝 無風の好状態のもと、スダジイへの摘果剤散布が実施されました。図1は本日のスダジイ全景ですが、全体に開花していることがわかります。

 

 

一昨年より散布に従事している人の話では、「昨年まではクレーンでスダジイ内部に楽に侵入できましたが、今年は幹ぶきも葉のつきも盛んで、樹勢が快復していることが実感できました。先端の枝葉の枯れている付近からも新芽が出てきている様子です」とのことでした。

 

 

 昨年、河川改修工事による排水路敷設も終わり(H28.8.13日号)の本ブログで紹介、それにともないスダジイ根元の養生が完了していますので、根先が伸びていってくれれば、葉先の枯れの快復も期待できそうです。

 平成9年の河川法改正をうけての河川改修工事の目標の一つは、環境保全です。この法改正後に施工されたのが梯川河川改修ですから、スダジイ大木の樹勢が回復して、平成9年河川法改正のレガシーの一つして後世に記憶されることを期待しています。

 

 

 

author:bairinnet, category:鎮守の森と河川改修, 09:19
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スダジイ先端の枯れとアランドロンの太陽がいっぱい

516日のスダジイへの摘果剤散布の後、その後の開花の状況を日々観察していますが、図1の緑色丸印内に示すのが、本日 519日午前中の東側からの状況です。開花が下部にかけてすすんでいることが判明します。

 

 

 

図2は、スダジイの下方の3箇所から採取した枝葉です。枝打ち跡から元気に萌芽している付近からとったのが、図の真ん中と左端です。右端は陽のあたる南側の下部付近の枝葉です。この三つとも、開花も進んでおり、葉の形も昨年よりは大きくなってきているのは好ましいことですし、右端のは葉の色が濃くなってきています。これもよい傾向とされます。

  

 

図1の先端部分を撮影したのが、次の図3です。

 

 

先端部分が枯れています。これについて、平成19年の金沢河川国道事務所による「小松天満宮整備計画評価委員会」以来、指導いただいている樹木医の方にお聞きしたところ、アランドロン主演映画「太陽がいっぱい」のラストシーンなみのことを教えて頂きました。

 木の先端部分が枯れてくるのは、根の先端部分が枯れてくるのと連動しているというのです。H28813日号の本ブログ「スダジイの根元土壌改良工事の実施(その1)」で詳しく説明しましたように、このスダジイの枝打ち・根切り後にスダジイ北側に設置されました仮設排水路の水位が高かったために、スダジイの北側の根腐れがおきてしまったのです。

 図4は平成24125日のスダジイ北側の根元付近からみた課仮設排水路の水位です。非常に高くなっています。

 

 

 

 

この状態が改善されましたのは、平成27年4月に仮設排水路の釜場が深く掘り下げられてからですので、長期間、根ぐされの状態でしたから、根の先端が枯死しても当然です。おどろくべきことは、こうしたことをスダジイは覚えていて、今年になってはっきりとそれを示してきたことです。これも長年、本ブログ項目「鎮守の森と河川改修」を続けてきたことの効用です。

author:bairinnet, category:鎮守の森と河川改修, 15:17
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