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スダジイ先端の枯れとアランドロンの太陽がいっぱい

516日のスダジイへの摘果剤散布の後、その後の開花の状況を日々観察していますが、図1の緑色丸印内に示すのが、本日 519日午前中の東側からの状況です。開花が下部にかけてすすんでいることが判明します。

 

 

 

図2は、スダジイの下方の3箇所から採取した枝葉です。枝打ち跡から元気に萌芽している付近からとったのが、図の真ん中と左端です。右端は陽のあたる南側の下部付近の枝葉です。この三つとも、開花も進んでおり、葉の形も昨年よりは大きくなってきているのは好ましいことですし、右端のは葉の色が濃くなってきています。これもよい傾向とされます。

  

 

図1の先端部分を撮影したのが、次の図3です。

 

 

先端部分が枯れています。これについて、平成19年の金沢河川国道事務所による「小松天満宮整備計画評価委員会」以来、指導いただいている樹木医の方にお聞きしたところ、アランドロン主演映画「太陽がいっぱい」のラストシーンなみのことを教えて頂きました。

 木の先端部分が枯れてくるのは、根の先端部分が枯れてくるのと連動しているというのです。H28813日号の本ブログ「スダジイの根元土壌改良工事の実施(その1)」で詳しく説明しましたように、このスダジイの枝打ち・根切り後にスダジイ北側に設置されました仮設排水路の水位が高かったために、スダジイの北側の根腐れがおきてしまったのです。

 図4は平成24125日のスダジイ北側の根元付近からみた課仮設排水路の水位です。非常に高くなっています。

 

 

 

 

この状態が改善されましたのは、平成27年4月に仮設排水路の釜場が深く掘り下げられてからですので、長期間、根ぐされの状態でしたから、根の先端が枯死しても当然です。おどろくべきことは、こうしたことをスダジイは覚えていて、今年になってはっきりとそれを示してきたことです。これも長年、本ブログ項目「鎮守の森と河川改修」を続けてきたことの効用です。

author:bairinnet, category:鎮守の森と河川改修, 15:17
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スダジイの開花と摘果剤散布

 本ブログ(2016.12.05)「平成28年下期の樹木調査」で報告しましたように、昨年の金沢河川国道事務所による境内の樹木調査において、調査担当の樹木医殿より、国の指定文化財であります社殿を風雪雨被害から保護するのに貢献していて、河川改修工事、特に、輪中堤建設と排水路建設の間に甚大な枝打ちと根切りの実施されましたスダジイ大木について、樹勢回復の遅れが指摘されました。改善策もいくつか指摘されましたが、特に、花から実になるときのエネルギー消費を減らすべく、昨年より摘果剤散布を本格実施していますが、昨年秋の樹木調査では、ドングリの実が多く付いている枝も残されていました。本年も国土交通省金沢河川国道事務所および工事業者殿の協力のもとで実施することがかないました。今年は昨年までの摘果剤散布の経験をふまえて、スダジイの開花に即した摘果剤散布を行うように助言をうけました。

 平成29年5月16日のスダジイの画像です。

 

       

 

 

 開花しているかどうかを確認するために、高ばさみで枝葉をサンプル採取してみたのが下図です。

   

    

 

 

緑色丸印で囲まれているのが 雄花であり、赤丸印で囲まれているのが 雌花です。雌花部分拡大してみたのが次の図中の赤丸部分です。この赤丸内の雌花は開花しているようですが、まだ開花していない雌花もみられます。

 

 

 

これを確認して5月16日に摘果剤の散布が実施されました。ただ、スダジイの全部の枝葉について開花が進んでいるのではありません。次の画像の赤丸内は、いまだ開花していない部分です。

 

   

 

この赤丸印部分の枝葉を採取してみたのが、下の画像です。右側の枝葉では開花していますが、左側の赤丸内では、雄花も雌花もまだ開花していません。

 

   

 

 次の画像の肌色丸印部分は、スダジイの上部ですが、葉のつきも少なく枯れ枝がおおく樹勢がよくありません。他方、スダジイの下部は枝打ち部分からの萌芽も盛んで葉も茂っていますが、この下部において開花していない枝葉が多くなっています。この下部の樹勢の消耗を減らすためにも、花から果実になる際のエネルギー消耗を減らすことが重要になります。指導していただいている樹木医殿からは、5日後にもう一度摘果剤をまいた方がよいとの助言を受けました。関係各位の協力のもと、来週早々に摘果剤をまくことになりました。

 

 

 

 

 

author:bairinnet, category:鎮守の森と河川改修, 14:37
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当社紹介のDVDが発売されました

当社関連の梯川改修工事が開始された直後の平成24年頃にBSにて放映されました「神社百景~Grace of Japan~:小松天満宮」のDVDが、この度、隔週刊 神社百景~Grace of Japan~ DVDコレクション 第20号」(白山比弯声辧⊂松天満宮)(発行:(株式会社)デアゴスティーニ・ジャパン)として、平成29年(2017)3月14日に発行されることになりました。現在は河川改修が概成している状況ですが、河川改修による輪中堤構築のために社殿前に一時移転されていました撫牛像や昭和10年頃の河川改修にて移築されていました能舞台など、現在と異なる風景がみられます。ただ、北斗形の参道や神門・社殿といった主要建物には変更ありませんので、当社の歴史の保存DVDとしてご覧いただければと思い、ここに紹介させていただきます。

 

author:bairinnet, category:神社と河川改修, 08:49
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一面の雪景色に梅園の紅梅一斉に咲き出す

本年最初の月次神事(初天神)の今朝は一面の雪景色となりました。

 

 

 驚いたことに梅園の紅梅が一斉に咲き出しました。節分前に咲き出すのは近来なかったことです。梅園からみたいくつかの画像を紹介して、平成29年大寒 初天神の記録といたします。1枚目は十五重塔の手前からみた紅梅です。2枚目は梅園東側に生い立つタブノキ手前からみた紅梅です。

 

author:bairinnet, category:四季の景色, 11:33
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トランプ大統領就任時の暴風

 平成29120日は24節気の大寒の日でしたが、この日の深夜にトランプ大統領の就任式典がテレビで放映されました。式典は日本時間の午後11時半より開始され、就任宣誓は21日午前2時頃でした。この前後から、私どもの小松付近には春雷が鳴り響き、強い北風が吹き荒れました。今年の干支は丁酉(ひのととり)歳ですが、丁(ひのと)の字の横棒は従前からの方向づけや態勢の継続を、横棒の下にあるのは、それへの反対勢力の台頭をあらわすといわれます。まさしく、トランプ大統領の登場は従来からの常識(例:自由貿易体制の護持)をくつがえす一大勢力(自国第一の保護貿易主義)の登場を画するものといえます。その就任式典時に私ども(だけではないでしょうが)の郷土には北風が吹き荒れました。多くの方が、深夜の風音に目をさまして窓外をみやったのではないでしょうか。

 明け方の境内を見回りますと、北側に生い立つこんもりしたスダジイ大木が北風の猛威を防いだお陰で社殿にも被害が見当たりませんでした。ただ、梅園の片隅に生い立つ楠木の大木の大枝が折れて倒伏していました。やはり境内でもとりわけ背が高く、枝が伸びていたため、北風の猛威に耐えられなかったためでしょうが、幸い、まわりの建物には被害なく、樹幹にも被害がありませんでした。下図は、生い立つ楠木(赤印が折れた箇所)と倒伏した太枝の状況です。


 

 

 干支の話に戻りますと、今年の干支「丁酉」の酉の字は、お酒を醸造する容器をあらわす象形文字を表し、転じて物事を成すを意味するといわれます。

 トランプ政権の登場は我が国に大きな影響を及ぼしうるでしょうが、願わくば、国や郷土の生活の根幹を保持しつつ、バランスを欠いた枝葉をおとして、態勢を整え、新たな時代の流れに順応しつつ郷土の発展につなげていきたいものです。

幸いにも倒伏した大枝の側にある白梅の小木には被害なく、蕾がふくらんでいました。

 

author:bairinnet, category:所感, 20:02
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久方ぶりの冬至の日の出拝見す

数年ぶりとなる冬至の日の出が神門中央から射し込む様子が今日拝見できました。

 

 

今年の冬至は例年になく好天にめぐまれ、お月さんが南天に出て日の出観察には絶好の日となりました。輪中堤がなければ10分間ほど観察できますが、神仏習合時代には観音霊場であった白山山系の妙法山上を越えてのぼる日の出が輪中堤にさえぎられて神門に射し込む時間が短くなり、現在では5分間ほどの射入時間となっています。

 今朝は早朝から待っておられる方がいるのでお尋ねしてみたところ、当社の観光案内に来て頂いている小松市観光ボランティアの方とのことでした。案内される方々から「ご覧になったことがあるのですか?」と問いかけられることがあるので、一度みてみたいとおもっていましたが、昨年は雨でだめでしたとのことでした。今年はじっくりと観察することが出来、これで観光案内もばっちりですと満足しておられました。

 

author:bairinnet, category:四季の景色, 08:46
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初詣の臨時駐車場のご案内

H29初詣臨時駐車場のご案内

 

当社を輪中堤により現在地に保全する梯川改修工事も進捗し、輪中堤防の構築も完了し、目下、分水路の出入り口付近を工事中です。当社境内地への連絡橋(天満橋)も連絡橋からの参道も完成していますが、初詣期間中は連絡橋からの車両通行は出来ませんので、徒歩にてお参りください。また、下記のように、臨時駐車場2ヶ所(P1,P2)を準備いたしましたが、駐車可能台数が限られていますので、極力、徒歩にてお参り頂きますようにお願いいたします。2ヶ所のうちP2大晦日から正月3日までご利用いただけます。警備員が誘導する際には、その案内によりご参詣ください。


               臨時駐車場概略図

 

 

 

 

以下に各臨時駐車場の現況画像を示しますので参考にしてください。

 

 

次に、P2の現況画像を示します。

 

author:bairinnet, category:初詣, 06:24
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平成28年下期の樹木調査実施さる

 平成281122日に下期の樹木調査が実施されました。第1図は、第一の重要木であります神門脇のタブノキの平成2711月の樹木調査時点の画像です。重度の枝打ちや根元伐り被害をこうむったタブノキで、昨年には樹勢のおとろえや枯れ枝が見られることで、枯れ枝の切り落としなどの養生工事が実施されました。

 

 

図2は今年のタブノキの状況ですが、周辺での輪中堤構築や排水路工事も終了して1年あまりたったことから、枝打跡のカルス(癒合組織)も発達していて、枝打箇所からの新葉の生長も盛んであり、順調に快復傾向にあることが確認されました。

 

 

 第3図は昨年11月の樹木調査時に確認された神門脇のアカマツの幹に残る樹液の流れ落ちた跡の画像です。

 

4図は、今年の樹木調査時のアカマツの画像ですが、枯死が進行しつつあります。

 

 枯死進行の原因を示すのが、画像5です。枯れ枝がねじ曲がったようになってきていますので、「マツモグリカイガラムシ」による被害を受けたために枯死つつあると診断されました。松食い虫被害予防には、春先の生長開始前に根元近くの幹に薬剤注入して、樹液と共に薬剤が樹液中に進入することで予防できます。ところが、モグリカイガラムシの場合は、孵化した幼虫が飛び回って新しい梢の葉の付け根や樹皮の隙間に潜り込むなどして被害を拡大させるといわれますので、孵化幼虫のあらわれる春と秋に新しい梢に薬剤散布をして予防するのがよいといわれています。ただし、高木の赤松に、高所作業車も入れない境内において薬剤散布をすることは不可能です。

 

 

 枯死進行中の赤松は来春には伐採やむなしとなると予想されました。この赤松の隣には、モニタリング松の黒松もあり、モグリカイガラムシについては、十分に研究がすすんでいないこともあり、伐採時には、樹木調査担当委員殿にも立ち会ってもらって、情報収集していただくことになりました。

 本年は、もう一つの重要木であります社殿北側のスダジイに対して、工事業者殿の協力を得て3回の摘果剤散布を実施しましたが、図6は、3回目、527日の画像です。

 

 画像7は、スダジイ根元の排水路敷設工事が今年夏で完了して数ヶ月経過した今回調査時の画像ですが、北側の枝打ち跡の快復傾向と共に、新葉もかなり出ているのが確認されました。

 このことはよい徴候ですが、葉の大きさは昨年同様に小さいままで、図8の示すように、実も小さく、実の中は空ではありませんが、あまり実もつまっていないようです。

 

 葉の小さいままなのは、長期にわたり、根伐りされた根元近くに敷設された仮設排水路の水位が高かったための生長不良の後遺症であろうと指摘されました。

 実の小さいのは、摘果剤散布の効果とも考えられると指摘されました。また、多くはないとはいえ、依然として実もついている枝もあることと、スダジイの花が一斉に咲くのではなく、順次咲いていくことから、来年の摘果剤散布時期を早めてみて摘果剤散布効果の再確認をする必要があると指摘されました。

 このスダジイの根元近くは、輪中堤構築のために万能塀が取り去られたため、西風の吹き込みが強くなり、スダジイの根元に敷いてあった落ち葉が吹き飛んで露出気味になっています(図9)。

 

 

 これは樹勢快復のためには好ましくなく早急に養生した方がよいとの指摘をうけましたので、同行した樹木医殿に依頼して、土をまぜた元樹くんにてスダジイ根元まわりの養生工事を実施しました。工事後の模様を示すのが、図10です。

 

author:bairinnet, category:鎮守の森と河川改修, 17:19
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分水路の試験通水実施さる

今月下旬に実施される分水路の通水式のための試験通水が実施されました。

下の画像は分水路に通水された状態の画像です。本川の梯川は東から西に流れ下りますので、東側から西側をみての画像です。画像の左側が天満宮の境内地です。

 

 

 次の画像2は、本川から水分水路に水の入る、入り口方面の画像です。

2015年11月30日付けの当ブログに説明するように、分水路の河床と本川の河床は同じ高さに造成されているため, 分水路と本川を隔てる敷居をとれば、円滑に流水が分水路に流れ込むことが本日確認されました。

 

 

 画像3は、分水路の流末の画像です。

 

 

 通水確認後に、画像3の流末より排水が実施され、元の空堀状態に戻りました。その画像が画像4です。

 

 

 

  試験通水の実施された時間における本川の水位は標高で57僂任靴拭2菫1と画像4を比較すると、河川水位と分水路水位との対応関係が明らかになります。

 

author:bairinnet, category:神社と河川改修, 15:24
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幻の『加越能楽』4号入手し、当社能舞台の謎、解明さる

 

 本ブログでは、平成25年に、能舞台について3回紹介しています。平成25年2月12日号、5月11日号、5月15日号の3回です。当社能楽堂は、明治29年10月16-17日に舞台開興行が開催されました。その後、昭和10年頃の梯川河川改修にて、建立時の社殿前方あたりから、西方に移築されました。平成の河川改修により、平成25年に能楽堂の本舞台のみが明治の建立時の故地に再度移築されたものです。平成25年の再移築は、土地制約等により、本舞台のみを故地に移築したものです。2月12日号のブログは平成25年の再移築前のものであり、5月11日号、5月15日号のブログは、移築工事中や工事竣工後のブログであります。

 移築工事中に当社能楽堂の上棟の棟札(図1)が発見されました。上棟祭の年月が明治27年5月であったことがわかります。

 

 

             当社能楽堂の来歴は、2月12日号と5月15日号 の本ブログでも紹介しましたが、再掲してみます。

     昭和47年に出版された『金沢の能楽』(梶井幸代・蜜田良二著)中に、廃藩置県後の金沢において流行し、泉鏡花も見たという、今様能狂言一座、特に、泉祐三郎一座の使用した舞台についての以下の記述(梶井・蜜田著、236頁)に基づいています:

 

「泉祐三郎座の舞台は、もと、波吉家の舞台であったというから、波吉一家が、明治二十年上京したとき移されたものであろうか。。。。 今この今様の舞台は、小松の梯天神社へ移されている。小松では移築の工事半ばで日清戦役がおこり、雨ざらしで放置されたのを修築して明治二十九年舞台開きをしたということである。」 この文中、梯天神社とは、明治維新後に「天満宮」等の「宮」の使用が制限された折に、使用されていた社号の一つであります。

 

       昭和62年3月に公表された『加賀 小松天満宮と梯川』(小松天満宮等専門調査報告書)中の「小松天満宮の建築」(田中俊之著)は、金沢からの全面的移築説に以下のように疑問を投げかけています。

 

「能舞台の背景の松の壁画は、当時金沢から東京へ移住するために屋敷内の能舞台を取りこわす事にした金沢市の野町の某家の能舞台の壁画を譲り受けたものと伝え、見事な松の絵である。一説には、能舞台ではなくて、芝居興行などに使われたものをそのまま譲り受けて移築した為に、寸法的には通常の能舞台と異なって小さいのであると云われている。しかし、寸法的には舞台間口は三間あり、奥行も十六.五尺に九尺と極く普通の大きさであるので、芝居興行の舞台とは考えられない。。。。又現在桟瓦葺きの屋根の下に杮葺の軒付が残っており、金沢から軒付を付けたままで運ばれたとは考えにくい。」

 

       今回の移築を担当した宮大工さんによれば、金沢からの移築となれば全部バラして移築するし、この軒付は移築したものではない、として、田中説に同調しています。

 

       『金沢の能楽』(梶井幸代・蜜田良二著)の当社にかかる箇所の引用文献とされているのが、『加越能楽』第4号です。この雑誌は、金沢市立図書館には所蔵なく、石川県立図書館は所蔵するも第4号は欠落していました。また、明治29年の当社能楽堂の舞台開に出演している佐野吉之助が明治33年に建立した佐野能楽堂を引き継ぐ石川県立能楽堂にも所蔵していないということでした。

 

    小松天満宮社務所では長年にわたり『加越能楽』第4号を探してきましたが、幸いにも過日、金沢の古書店より購入することが出来ました。下図はその表紙の画像です。

 

 

         昭和24年8月5日発行第4号9月号の目次は以下の通りです:

 

月並能解説             佐野安彦

謡方講座(羽衣)            同

謡方手引

能、謡の術語            松内 省

能芸術の魅力−世阿弥における美と自由の精神−

                    川口久雄

屑籠                 座 吟

能登能楽と古文書        八田健一

大野湊の御神事能        清水九璋

水邊の草

東京だより

小松梅林院の舞臺開     魚住弘英

各社消息

 

       この魚住弘英氏による小論が長年探し求めていた論文であります。本論は前半に当社の能舞台の説明があり、後半に舞台開能番組の紹介があり、最後に短い結びの文の3部からなっています。舞台開能番組は額装されて当社宝物になったものがあり、その内容は既知でありますので、ここでは前半部と結びの文を紹介させていただきます:

 

        小松梅林院の舞臺開     魚住弘英

「小松梅林院は梯天神様とも称え小松城の東北梯川の畔に在り中納言(前田利常卿)がお城の鬼門除として造営致され境内は京都北野天満宮に模し当時京都から連歌の名師梅林能順師をまね来て別当とせられた社である。此社には、小松市に唯一つの能舞臺がある。当主梅林秀順翁の話によれば明治二十八年小松町の有志方のはからひで当時金澤に在ったものを此社へ造営されたものであるが、立柱間もなく日清戦争が起り屋根も葺きあへず工事は中止の情体となり翌年戦争終了後やうやく完成致したもので其間風雨にさらされて舞臺二つ建てたと等しい費用を要したものであるとの事で此舞臺開きは明治二十九年十月十六日十七日両日催された。佐野安彦先生の話によれば先代佐野吉之助先生初め各先生方は中食辨当酒などけいたいの上金澤を未明に出立致され八里の道を徒歩にて小松の舞臺開きへ趣かれ又帰途し同じく此道程を取られたとの御話である。番組中の楽師の内太鼓の筒井氏や小鼓の小槌氏は小松人で筒井氏には今も名器の太鼓が保存されてあると云われて居る。

                          み社の松に聲あり氷室会      潤石

私の社中は毎年此社で氷室会を催す事に致してゐる。以前はほととぎすの聲も聞き得たと云われるが梯川改修の為め其風致も損じて今は其面影を止どめない事も誠に遺憾な一つである。

   舞臺開能楽番組  省略

                                                               以上

 

 因みに先年当社昇格葵に私等が主催して祝賀能を催した際

も梅に因んで鉢木巻絹を出した思い出がある。         (完)」

 

     この文中「当主梅林秀順翁」とあるのは、小松天満宮第9代宮司(在任:明治32年−昭和27年)のことであります。9代宮司は8代宮司とは親戚関係にあり、幼少の頃より後継宮司に目されていたから、能舞台竣工時の事情を熟知していた人であります。ただ、竣工年が明治二十八年とされているのは、魚住氏の聞き間違いか秀順翁の記憶違いであると推察されます。

 この秀順翁の話より、図1の棟札の掲げられた明治27年5月後間もなく日清戦争が始まり、屋根をふくまもなく放置されていた能舞台の工事が再開され、戦後に工事再開となって、結果的に「舞臺二つ建てたと等しい費用を要した」といわれていることは重要なことです。工事再開後に、雨ざらしにあっていた部材の多くは新しいものに取り替えられてほとんど新築同様の能舞台として竣工されたことが伺われます。

     これをふまえると、田中氏や今回の移築を担当した宮大工さんが指摘されたように、当社能舞台に使用されている部材は金澤から移築してきたものばかりでなく、多くの部材は新材にとりかえられて建てられたことが判明します。それゆえ、現存する当社能楽堂本舞台(能舞台)内で、波吉家能舞台を引き継いでいるものは、寸法等の建築様式以外には、鏡板ということになります。おそらく鏡板部分は、放置されている間も何らかの形で保護されていたのではないかと推察されます。

    最後に、現存する当社能舞台の移築完了時に撮影された前景部分を示します。鏡板については、本ブログ平成25年(2013)2月12日号をご覧下さい。

 

 

 

author:bairinnet, category:神社の歴史, 15:50
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