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菅公の七夕の漢詩と史記の天官書: 北斗型参道の追加説明

 『日本大百科全書4』には、魁星(文昌星)について以下のように説明しています: 「北斗七星中の第一星、ないしは第一星から第四星までの名。。。魁星は、文星または文昌星(ぶんしょうせい)ともいわれて文運をつかさどる星とみなされ、後世とくに科挙試験の受験生により信奉された。。。(伊藤清司)」。科挙試験が定着する中国南宋王朝以降、学問・文芸の神としての魁星・文昌星信仰が知識人の間で盛んになりますが、わが国への伝来に関する社務所調査に10年以上の時間がかかってしまいました。

 わが国の文芸作品で、文昌星(文星)を詠んだ作品に、菅公(菅原道真)が、寛平七年(八九五)七月七日の夜、宮中で開かれた詩宴において宇多天皇の命に応えて詠まれた七夕の漢詩(七言絶句)があります。

 七夕 応製 寛平七年895 従三位権中納言  

今夜不容乞巧兼   今夜は乞巧(きっこう)を兼ねることを容されず

唯思万歳聖皇占   ただ思へらくは万歳( まんせい )  聖皇の占ひたまはむことを

明朝大史何來奏   明朝 大史(たいし)何をか来り奏するならむ

更有文星映玉簾   更に文星の玉簾に映(は)ゆること有らむこと

この漢詩のよまれた平安時代には、彦星と織姫星の出会う七夕の翌朝に、大史陰陽寮のトップ)が、天文現象にもとづいて天皇に奏上する「天文密奏(てんもんみっそう)」が行われていました。菅公の漢詩の転句は、七夕の翌日にどのようなことを奏上するのであろうか、と詠い、結句は、菅公の望まれる奏上内容です: 

「文運を司る「文昌星」が玉座の御簾に映えて、明光をはなって見え隠れしていると奏上して、一層の文運のさかえを占いだすであろう(川口久雄校注『菅家文草』を参照)」。

 菅公の漢詩は文運を司る文昌星の加護をえて、帝の治世に文運の栄えのあらんことを願う詩となっていますが、魁星のことにはふれられていません。ただ、玉座の御簾をよまれていることと、それが皇居の奥まった場所にあることを思うと、文昌星=魁星、ないしは、文昌星が魁星の近くにあることを理解しての作詞のようにも思えます。

 北斗七星や魁星、文昌星のことが出てくるのは前漢の司馬遷による『史記』の天官書です。また、この史記の三大注釈書といわれるのが、古いものから順に、中国の南北朝時代の宋王朝(420−479)の裴駰により書かれた『史記集解(しきしっかい)』、唐の司馬貞(679−732)による『史記索隠』。最も新しいのが 唐の開元24年(736)に成立の『史記正義』です。

社務所ではこれら三大注釈本の閲覧を重ねてきましたが、このうち最も古い史記集解の南宋時代の公刊本『宋刊本史記集解』は大阪市の武田科学振興財団所蔵で国宝に指定されています。下記は、武田科学振興財団の入っているビルとビルの正面玄関の写真です。

 

 

 

ただ、残念なことに国宝本には天官書の部分が欠けていましたが、同じ南宋の紹興10年(1140)刊行の『史記集解』130巻の中の天官書を閲覧できました。

 司馬遷の『史記』天官書には、魁星とは北斗七星の第一星から第四星、「北斗の魁星をいただいて、これを助ける六つの星を文昌星という」と記され、文昌星は北斗七星のすぐ近くにあるとみなされていました。三大注釈書の中で最も新しい、唐の開元24年(736)に成立の『史記正義』には、「魁(魁星)は斗(北斗)の第一星」と明記しています。史記正義の出版年は菅公の生誕はるか前ですから、菅公の時代には、文昌星が北斗の第一星(魁星)を照らすという理解があり、これをうけての菅公漢詩の結句であることがわかります。

author:bairinnet, category:宗教的建造物のシンボリズム, 20:19
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北斗型参道の説明版設置さる

 梯川分水路完成にともない、インフラツーリズムで当社周辺地域を訪れる方々も増えていることから、当社では境内案内板の増設をはかることとしています。昨年の宝物館公開で資料展示した北斗型参道についての説明版を鳥居脇に設置しました。

 

 「宗教的建造物は、御祭神に祈りをささげるのに相応しい聖なる空間を創造せんとする人の試みの具現化したものである」(Vilas Bakde)といわれます。その例が冬至の日の出線上への神門・本殿配置であり、当社と小松城との係わりの図解を含めての説明版は十五重塔西側に設置しています。今回設置の説明版は、もう一つの例であります北斗型参道、とりわけ、七夕の日の出線に沿っての東参道敷設に籠められた創健者の願いについての説明版であります。当社境内参詣の折にご覧いただければ幸いです。

author:bairinnet, category:特徴的な社殿配置, 19:50
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白梅咲き始めるも昨年より2週間ほど早い

 白梅が咲き始めましたが、豪雪に見舞われた昨年と比べて2週間ほど早くなっています。本日の雨中にとった神門手前の白梅の開花状況です:

 

 

昨年は女優の壇蜜さんがロケで来社の3月20日にはこの場所の白梅は満開になっていましたので、今年の満開は10日ほど早くなるのでないでしょうか。

梅園の紅梅は咲きそろってきました。昨年は3月17日頃から梅園の紅梅は見頃を迎えていましたので、今年は10ほど早まるようです。

 

 

author:bairinnet, category:四季の景色, 07:53
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宗祇「角田川」の能順写本(貞享3年)の新発見

 応仁の乱勃発後の文正2(1467)弥生3月に関東下行中の宗祇が、連歌に関する質問に答える形で著した文書に「角田川」(吾妻問答)があります。これの能順写本が、長年にわたり当社の連歌文書を調査・研究している筑波大学の綿抜豊昭氏により当社蔵の連歌文書から新たに発見されました。次の画像は、能順写本の表紙ですが、外題は浅井政右によるものです。

 

 

 当社創健者の前田利常公により初代別当(宮司)に任ぜられた松雲庵能順は29歳から宝永3年(1706)に79歳でなくなるまで、およそ50年間にわたり当社と北野天満宮を兼職し、京都と加賀との文化交流に貢献されましたが、特記すべきは,加賀の地において多くの文化人を育て上げたことでした。能順が活躍した16世紀後半から17世紀にかけての連歌の達人は浅井政右(加賀藩士)、能順、快全(商人から天台宗僧侶)の3名(『三州奇談』)といわれますが、政右も快全も能順さんのお弟子さんです。この二人以外にも芭蕉の小松来訪とのかかわりでよく出てくる越前屋歓生や生駒万子もやはり能順さんのお弟子さんです。

 今般、新発見の能順写本は、後年加賀藩家老を務めた今枝直方の求めに応じて、初心者に連歌の作法を教示した「角田川」を、貞享3年(1686)に能順が写本し、その外題を浅井政右が揮毫したものです。また、「角田川」の成立年については文正2年(1467)と文明2年(1470)の2説がありますが、本写本は文正2年のものです。以下は、これらのことを示す跋文箇所の画像です。なお、今枝直方の義父 今枝近義は、能順と交流がありました。その最たる例は、近義は金沢から、能順は小松から、それぞれ中間地点の松任に出向いて、能順より源氏物語の講説を聞き終えたことです。

 

最終頁.jpg

 

外題を書いた浅井政右と小松とのかかわりで思い出されるのは、連歌会にはお香を絶やさないにかかわる逸話です。綿抜豊昭著『連歌とは何か』より引用して紹介します:

小松の絹屋大原屋某と申す者、絹商いに京師にのぼり、北野信仰にて一昼夜通夜し侍るに、夢となく現つとなく夜半に、天神のお帰りとて社壇俄かに賑はひ。。。仭(さて、思い当たった時に発する言葉)今宵は金沢 浅井政右方に連歌有り、その中に 「朧々と鏡ぞ聞ゆる」 という句に 「老ぬれば耳さへもとの我ならで」 という句あり。面白く今少し聞きたく侍れど香絶えぬ。依りて帰りたりと仰て社壇に入給ひぬと見て、夢さめたり。その後 加賀に帰って政右に尋ねたところ、当日の連歌会の句に夢に出てきた句があるとのことで委細を政右に話したという。それ以後、連歌席には香絶ぬように心得べきと申し合わせたり、という逸話であります。

政右と共に能順の連歌の高弟であった快全についても同様の逸話が紹介されているので、関心の各位は前掲書をご覧ください。

なお、跋文中にある依頼主の「戸部直方」ですが、今枝直方は民部とも称しました。民部の唐名が「戸部」(こぶ)であり、これより今枝直方と判明したものです。このことは、本件を取材した新聞記者の方が金沢市の玉川図書館近世史料館の学芸員の方より教示されたものです。

author:bairinnet, category:宝物紹介, 05:00
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H31初詣臨時駐車場と初詣情報のお知らせ

当社を分水路により現在地に保全する梯川分水路工事も完成しましたが、初詣期間中は分水路にかかる天満橋からの車両通行は出来ませんので、徒歩にてお参りください。また、下記のように、臨時駐車場3ヶ所(P1,P2、P3)を準備いたしましたが、駐車可能台数が限られていますので、極力、徒歩にてお参り頂きますようにお願いいたします。3ヶ所の臨時駐車場は大晦日から正月3日までご利用いただけます。警備員が誘導する際には、その案内によりご参詣ください。

 

  祈願、授与品頒布の受付時間

   1日(祝) 0時から19時 (2時から6時は祈願受付はお休み)

         0時から歳旦祭

   2日(水) 9時から18時 (祈願受付は9時から17時)

   3日(木) 9時から17時              

 

 臨時駐車場概略図

 

 

 

 

以下に各臨時駐車場の現況画像を示しますので参考にしてください。

 

 

 

次に、P2の現況画像を示します。

 

 

次に、P3の現況画像を示します。

 

author:bairinnet, category:初詣, 06:06
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小松天満宮宝物館公開のご案内

       「利常公360回忌記念」 小松天満宮宝物館公開案内

 

  本年は 万治元年(1658)10月12日に小松城にて逝去された前田利常公(当社創健者)の150回忌となります。

  それを記念して下記のように当社宝物館公開を行いますので、ご案内申し上げます。

 

日時: 平成301014日(日)午前9時から午後3時まで

    平成301015日(月)午前9時から午後3時まで

 

展示内容

 

 1)当社参道は 神門を通って本殿方向に射し込む冬至の日の出と東参道を通って本殿に射し込む七夕の日の日の出という二つの日の出を受け入れるように北斗型参道をしています。七夕の日の出に籠めた創健者(利常公)の願いにかかる調査結果と関連宝物を展示します。この調査の進展に大きく貢献した徳川ミュージアム所蔵の「文昌星像」の写真展示も

徳川ミュージアムの許可を得て行います。

 

 2)当社蔵の加州新刀展

 

  * 明治維新150年記念: 慶応4年奉納刀(刀身4尺)

 

     今年が明治維新150周年となることから、明治改元の慶応4年正月、まさに鳥羽伏見の戦いの頃、小松の町人296人と七町の若連中の浄財をもとに製作された長さ4尺の奉納刀と奉納額を展示します。

 

      承応3年銘の薙刀 

 

    利常公はお孫さんで幼い藩主(加賀守綱利、後の綱紀卿)の元服の歳の承応3年に藩内の刀工22人に各1刀を謹作せしめて、刀工名と承応38月吉日を刻して高岡の瑞龍寺に寄進しました。現存するのはわずかに2刀といわれています。『微妙公御直言』には「御領国所々の大社の内に御籠物として御刀等仰せ附けられたのは、加賀守武運長久の為である」とかかれていますが、近時、当社にて、瑞龍寺奉納刀の22の一人である藤原家忠による薙刀が発見されましたので、今回、初展示いたします。なお、薙刀刀身には作刀名と共に承応3年8月吉日と、瑞龍寺奉納刀と同じ年月日が刻されています。

 

駐車場紹介

 

 下記の茶色表示のように、仮設駐車場4ヶ所を準備いたしましたが、駐車可能台数が限られていますので、極力、徒歩にてお参り頂きますようにお願いいたします。また、天満橋から鳥居にいたる坂路は歩行者もおられますので車での通行の際は、歩行者に注意して減速して通行下さい。仮設駐車場での事故は責任を負いかねますので、注意して駐車下さい。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 14:26
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アオサギの子育てとフン害による枝枯れ

今年の3月頃から、当社では初めてのことですが、社殿西側の高い松の木の頂上にて、アオサギ3ペアによる子育てが始まりました。下図は本日朝に撮影したものですが、写真にはとれませんでしたが、子サギが動いているのがかいまみれました。

 

 

 

当初はほほえましいことと思っていましたが、最近では、この松の木の下部の草に白い糞が一面についているようになりましたので、仔細にみると巣のある松の枝が真っ白になって枝枯れが進行しているのがわかります(下図の赤線内)。これだと、今年の冬前には頂上部分を枝打ちして、巣づくりをされないようにすることを検討せねばなりませんが。

 

 

 長年にわたり当社の樹木管理につき助言頂いている松枝樹木医殿に見て頂きました。七尾のとあるお寺さんでは、林の一画に100以上の巣が出来て枯れてしまったとのことです。鳥が巣を構えるには「ここなら安心!」と思ってのことといえる。巣立ちの後でもここに住み着くようなら、まずは「音花火」か「目玉ボール」を使用して移ってもらう対策をとってみたらと助言を頂きました。

 

 

author:bairinnet, category:鎮守の森, 20:09
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梯川分水路竣工記念マーチングコンサートの斉行

昨年1119日に国交省北陸地方整備局他により斉行された梯川分水路竣工記念式典時に計画されていて、雨天時のため中止となっていました県立小松工業高等学校吹奏楽部によるマーチングコンサートが本日、当社鳥居前広場にて実施されました。本年は、当社が立地します天神町の地番が上牧町や梯町から天神町に変更登記されてから50年になることから、小松天満宮と天神町町内会の主催、小松市営天神町住宅自治会・駐車場管理組合の協賛、北國新聞社とラジオこまつの後援をえて、午前11時からおこなわれました。下記の画像1は,天満橋からの行進風景、画像2は、鳥居前広場でのコンサート風景です。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 19:59
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小松観光ボランティアガイドの会「ようこそ」当社に正式参拝

 昨年11月に竣工式典の実施された梯川(小松天満 宮)分水路工事では、当社を現地に残したまま河川流路を二手に分ける浮島(分水路)工法が採用されました。現在では、本丸櫓台(ほんまるろだい)と堀の石垣のみとなった小松城ですが、往事は金沢城の二倍の広さの敷地に、本丸を核に7つの島が浮かぶ「浮城」の景観を有していました。今回の工事で「浮島の宮」となった天満宮は、近世小松のまちづくりを進めた利常公の時代の姿をしのばせます。

 ダムや分水路といった土木構造物を観光資源として活用するインフラツーリズムが注目される中で、梯川分水路と当社を訪ねる方々も増えてきているため、本日、小松観光ボランティアガイドの会「ようこそ」の会員22名の方々が当社に正式参拝に訪れました。神事後に、当社神職より境内各所の観光ガイドのポイントについて説明させていただきました。

 梯川分水路と当社への観光ガイドをご希望の方は、小松観光ボランティアガイドの会のインターネットサイトをクリック下さい:

http://www.komatsuguide.jp/index.php/article/detail/volunteer/

なお、下図は記念撮影におさまるガイドの会の会員各位です。この方々がご案内いたしますので、どうかふるってガイドの会にお申し込み下さい。

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:35
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花の季節到来

 近くの田んぼの田おこしが終わり水をはり田植えの準備にとりかかる頃は、境内の梅園の梅の木に若葉がつき始め、藤の花とつつじが咲き誇る季節の到来です。

 

また、梅林院記念館の庭園には、平成15年に枯死した利常公お手植えと伝えられたドウダンツツジの二世が元気に花をつけています。

 

この二世の若木は枯死したために切り倒された親木の根元から生え出たものです。次の画像の赤丸印が親木の切り株です。

 

 

 

author:bairinnet, category:四季の景色, 20:31
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