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<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>小松天満宮のブログです。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/" /><modified>2012-05-12T13:18:26+09:00</modified><tagline>小松天満宮のブログです。よろしくお願いします。
</tagline><generator url="http://jugem.jp/">JUGEM</generator><entry><title>宝物の修理状況</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=83" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=83</id><issued>2012-05-11T20:12:00+09:00</issued><modified>2012-05-11T11:29:34Z</modified><created>2012-05-11T11:12:00Z</created><summary>&amp;nbsp;９月４日の宝物館公開にむけて､目下、宝物の修復作業が数カ所で行われていますが、石川県文化財保存工房での修復作業を見学いたしました。当社HPで紹介しています、初代宮司能順の連歌発句集「聯玉集」の修復と、初代宮司の連歌の一番弟子であり「聯玉集」の編者で...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>宝物紹介</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;９月４日の宝物館公開にむけて､目下、宝物の修復作業が数カ所で行われていますが、石川県文化財保存工房での修復作業を見学いたしました。当社HPで紹介しています、初代宮司能順の連歌発句集「聯玉集」の修復と、初代宮司の連歌の一番弟子であり「聯玉集」の編者である歓生の発句集「新梅のしずく」写本の修復が目下行われています。このうち、春から夏の部を収録した「聯玉集　乾」の表紙の修復途中の写真が下図です。表紙の傷んだ箇所の裏打ちが終わったところです。「聯玉集」は藩政時代から余程多くの人々によって読まれたと見え、とても利用に供せない程、表紙が傷んでいましたので、今回の修復には、能順さんにも喜んでもらえるものと思います。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120511_2866733.jpg" width="400" height="300"><br><br>また、本文の修復作業も進行中でしたが、その模様を示すのが下図です。ライトボックスを使用して、痛んだ箇所に合わせて和紙を切り抜きますが、切り抜いた和紙が右下に示してあります。この切り抜いた和紙を裏打ちして、全頁の修復を行ってから、表紙に綴じ込みます。作業はようやく半分まで進んだところです。それにしても、この切り抜き作業は目を酷使し、根気のいる作業で、若い人でないと無理とのことでした。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120511_2866734.jpg" width="500" height="375"><br>　歓生は、元禄2年7月26日に芭蕉を自宅に招いて句会を開催し、その折りに芭蕉の詠んだ句が「ぬれて行くや人もおかしき雨の萩」です。この歓生の発句集「新梅のしずく」の散逸するのをおそれた当社七代宮司順承による写本の修復過程で判明したことがあります。本文用紙が2種類の綴じ方で綴じられていたことが判明しました。一つは「胡蝶装（こちょうそう）」と呼ばれる綴じ方であり、もう一つは「袋綴じ」とよばれる綴じ方です。これは今回、バラしてみて初めて判明したことでした。<br>　<br><br><br><br>]]></content></entry><entry><title>何故、水運儀象台から近代天文学へつながらなかったのか？</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=82" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=82</id><issued>2012-05-04T06:21:00+09:00</issued><modified>2012-05-11T11:28:52Z</modified><created>2012-05-03T21:21:00Z</created><summary>&amp;nbsp;諏訪湖畔にある「時の科学館：儀象堂」に展示されている水運儀象台は、金によって滅ぼされる北宋王朝の末期1092年に建設された「水運儀象台」を精巧に復元したものです。上の方から、特定の星を観測するための「渾儀（こんぎ）」、その下に、「渾象（こんしょう）」...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>科学に親しむ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;諏訪湖畔にある「時の科学館：儀象堂」に展示されている水運儀象台は、金によって滅ぼされる北宋王朝の末期1092年に建設された「水運儀象台」を精巧に復元したものです。上の方から、特定の星を観測するための「渾儀（こんぎ）」、その下に、「渾象（こんしょう）」とよばれる天球儀があり、多数の星が配置されていて、時間ごとにどの位置の星がみえるかがわかります。一番下には正確な時刻表示機能をもつ時計装置が設置されていて、動力に水を使用していることから「水運儀象台」とよばれます。その画像は、「水運儀象台」として検索していただくと見ることが出来ます。<br>　さて、この「渾象」上にかかれた星（占術で使用された二十八宿など）はお互いの位置関係は変わりません。それゆえ、事前に天球儀上に印をつけておくことが出来ます。こうした星は恒星とよばれます。これに対して、太陽は天球儀上で季節によって位置をかえますから一点ではあらわせず、線分（黄道）で表示されます。恒星の位置が変化しない座標系として、渾象では赤道座標系を使用して天体の位置を表示しています。昨年11月19日の本ブログ「冬至線を守る(2)」で紹介しました球面三角法による天体（恒星以外の天体、例えば、太陽）の位置計算法でも赤道座標系を使用して、観測したい天体の位置を（赤緯、赤経）で表示します。これはこの渾象でも出来ます。ところが、天体の位置を計算するには、この他に、観測者の位置を示す（緯度、経度）と観測時間を示す「恒星時」を指定せねばなりません。このうち、前者は、地球が球体であることがわからないと出来ませんし、観測時間は、地球が太陽のまわりを公転しつつ自転していることがわからないと出来ません。<br>　それゆえ、11世紀では最先端の技術を開発した中国科学ですが、近代天文学、特に、任意の地点、任意の時間での天体の位置計算には、かなりの距離があったことがわかりますし、少なくとも、コペルニクスの登場が必要だったでしょう。何故、中国科学においてコペルニクスが登場しなかったのかを理解するには、理系の学問だけでなく、政治体制をささえる思想・哲学の面ともかかわってきますから、文系の学問分野との共同作業となります。<br>　ここでは地球の自転をわかりやすい形で展示した「フーコーの振り子」を上野の国立科学博物館で見る機会がありましたので紹介します。フーコーとはフランス人のレオン・フーコー(1819ｰ１８６８）のことです。1851年3月26日パリのパンテオンの巨大なドームに設置された振り子の錘を壁にとめているひもをマッチで焼き切ることで、実験は開始されました。<br>　当然ながら、振り子は重力のあるところでひっぱると摩擦が小であれば、いつまでも振動しつづけます。ふりこの釣り下げられた真下には円盤をおいて、時刻が表示してあります。下図は国立科学博物館での画像です。これを見学したのが午後４時半頃でしたから、振り子の錘の先端は１６時半頃を指しています。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120503_2856437.jpg" width="500" height="375"><br>　<br><br>もしも貴方が正午にこの振り子をみたとしたら、振り子の先端は１２をさしていたでしょう。ここからがおもしろいところです。振り子の振動する面は時間とともに動いたりしません。なぜなら、振り子はドームなりの天井の一点に固定されていて重力と慣性と多少の摩擦によって振動しているだけだからです。回転しているのは、この円盤の方なのです。円盤はもとより、円盤の固定されている建物の床、床の固定されている建物、建物の固着している地球自体が回転しているのです。地球の自転によって回転しているのです。<br>　この簡単な装置によって地球の自転を最初に実証したのが「ﾌｰｺｰの振り子」なのです。世界で最も美しい１０の科学実験の一つといわれるのもうなづけます。上図の円盤には数字（時間）の表示されていない部分がありますが、これは東京といった中緯度では、円盤が一周する時間が２４時間（３６０度）より長いためです。北極上では正確に２４時間で一周しますが、北極から赤道に向かうにつれて一周する時間は長くなっていきます。<br>　ただ一つ残念なことは、国立科学博物館での展示は部屋の片隅でなされていて、振り子の釣り下げられている基点が観察されえないことです。やはり、もう少し大きなホールなどで展示したいものです。それと、東洋における科学技術史との関連で展示するなど工夫が必要と思います。<br><br><br>]]></content></entry><entry><title>見納めの桜(2)</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=81" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=81</id><issued>2012-04-20T08:18:00+09:00</issued><modified>2012-04-20T21:51:41Z</modified><created>2012-04-19T23:18:00Z</created><summary>&amp;nbsp;付け替えられました旧文田川沿いの桜が今年で見納めとなる可能性が高いため、ここに紹介いたします。下図が今朝の開花状況ですが、若葉も少々出ていますから、まさに見納めです。　昨年９月14日の本ブログでも紹介しました藩政期の絵図面ですが、下図は藩政期の絵図...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>神社と河川改修</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;付け替えられました旧文田川沿いの桜が今年で見納めとなる可能性が高いため、ここに紹介いたします。下図が今朝の開花状況ですが、若葉も少々出ていますから、まさに見納めです。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120420_2840541.jpg" width="400" height="300"><br><br>　昨年９月14日の本ブログでも紹介しました藩政期の絵図面ですが、下図は藩政期の絵図に示す折橋川の位置です。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120420_2840539.jpg" width="600" height="450"><br><br>絵図中に青色で着色してありますが、現在の能美市中ノ江町から小松市蛭川町の北部から西南部（現在の城北町の町中）を貫流し、御館町の西方から梯町の神社裏を流れ当社北側を流れて梯川本川に合流していました。この折橋川は、今は故人になられた郷土史家の西孝三氏によれば、明治41年から開始された蛭川町の耕地整理事業と共に流路が変更になりました。この流路変更と共に、当社北側を流れる水路の名称も「文田川」と呼ばれるようになったようです。流路変更までは、内陸部へ木材等を運ぶ水路として盛んに利用されていたようです。<br>　下図は、当社周辺の河川改修工事の開始される以前の平成16年の文田川沿いの桜の開花状況です。なお、この写真にみれる水路は三面がｺﾝｸﾘｰﾄ張りですが、昭和三十年代までは自然水路で、水浴びしたりウナギを仕掛けたりと子ども達の遊び場でもありました。ただ、今晩の夕食のおかずは僕にまかせてと仕掛けた竹筒の中にナマズが入っていて、その日の夕食はナマズのお汁を食べたという苦い思い出もある場所でした。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120420_2840540.jpg" width="500" height="375"><br>]]></content></entry><entry><title>立派な松杭に感心</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=80" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=80</id><issued>2012-04-16T12:50:00+09:00</issued><modified>2012-04-16T04:08:36Z</modified><created>2012-04-16T03:50:00Z</created><summary>&amp;nbsp;昨年９月14日と本年１月２２日のブログでも紹介しましたが、目下、旧小松大橋の橋脚撤去作業が最終段階に入っています。河川流量の円滑な流下を確保するために、既設の河川底部より2メートル下まで（水面下5.5メートルまで）に存在する橋脚構造物を完全に除去する作...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>神社と河川改修</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;昨年９月14日と本年１月２２日のブログでも紹介しましたが、目下、旧小松大橋の橋脚撤去作業が最終段階に入っています。河川流量の円滑な流下を確保するために、既設の河川底部より2メートル下まで（水面下5.5メートルまで）に存在する橋脚構造物を完全に除去する作業が実施されていますが、その過程で旧小松大橋構築時の技術水準と共に使用されている立派な松杭に感心させられましたので、ここに紹介いたします。<br>　最初の画像は、橋脚の周囲（8.4メートルｘ15.6メートル）を矢板で囲んでの作業風景です。右端に板柵の残部が見えますが、昭和10年当時の工法では、この板柵で囲った中にコンクリートを流し込んで橋脚の基礎部分を構築していたことが判明します。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120416_2836113.jpg" width="400" height="300"><br>上図は水面下5.5メートルぐらいの状況ですが、橋脚の最下部に、横６列、縦15列の約９０本の松杭が打ち込まれていました。水面下5メートルから直径約30センチ、長さ4メートルぐらいの松杭です。上図には、作業員の人が、松杭の最上部を約50センチほど切りそろえて、水面下5.5メートルまでは一切障害物がないようにしているところです。長期間水につかっていても堅さが弱ることなく、非常に堅くて、チェーンソーの刃がすぐにほころんでしまうとのことです。下図は、きりとられた松杭の最上部です。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120416_2836115.jpg" width="400" height="300"><br><br>この松杭もそうですが、使用されている松材には節が見当たりませんから、丁寧な育林作業を経て切り出された非常によい松材を調達して工事がされたことを示しています。昭和10年９月11日に完成式の斉行された旧小松大橋は内務省直営工事でなされましたから、それだけ材料を吟味して丁寧な工事がされたことを物語っています。それと、現在と異なり、松材等の林産物が盛んに利用された時代でしたから、枝打ち等の丁寧な育林作業が全国的にされていたことも物語っていると思います。作業現場の見学を特に許可いただいた業者の方にお礼申し上げます。<br><br><br><br>]]></content></entry><entry><title>白梅ようやく満開</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=79" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=79</id><issued>2012-04-06T06:58:00+09:00</issued><modified>2012-04-06T22:02:36Z</modified><created>2012-04-05T21:58:00Z</created><summary>&amp;nbsp;当社の参道沿いの白梅がようやく満開となりました。例年だと春季例祭の斉行される3月25日に満開になるのですが、今年は約２週間ほど遅れての満開です。平成24年春の記録として梅の開花状況を紹介してきましたが、白梅の満開をもって今年の納めとなります。同時に、...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>四季の景色</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;当社の参道沿いの白梅がようやく満開となりました。例年だと春季例祭の斉行される3月25日に満開になるのですが、今年は約２週間ほど遅れての満開です。平成24年春の記録として梅の開花状況を紹介してきましたが、白梅の満開をもって今年の納めとなります。同時に、濃い紅色の蝶千鳥も満開になっています。下記は向拝前の白梅と梅園の蝶千鳥の開花状況です。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120406_2824097.jpg" width="400" height="300"><br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120407_2825239.jpg" width="400" height="300"><br>]]></content></entry><entry><title>利常公ゆかりのハゼの木の根回し完了</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=76" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=76</id><issued>2012-03-30T06:38:00+09:00</issued><modified>2012-03-29T21:37:56Z</modified><created>2012-03-29T21:38:00Z</created><summary>&amp;nbsp;加賀藩三代藩主前田利常公の時代、金沢の犀川土手に殖産振興と治水用意のために黄櫨（ハゼの木）の植樹が奨励され、洪水の場合には、これを伐って堤防の急所に粗朶として投げ込まれたといわれます。大正14年発行の「石川県天然記念物調査報告」第1号によれば、犀川...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>鎮守の森</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;加賀藩三代藩主前田利常公の時代、金沢の犀川土手に殖産振興と治水用意のために黄櫨（ハゼの木）の植樹が奨励され、洪水の場合には、これを伐って堤防の急所に粗朶として投げ込まれたといわれます。大正14年発行の「石川県天然記念物調査報告」第1号によれば、犀川下流の北陸本線鉄橋より両側の堤塘約２０町（１町は約109メートル）にわたり総数375本あまりが残存していたといいますが、現存してはいません。そうした加賀藩の歴史を後世に残そうと石川県巨樹の会の方々が育苗に取り組まれ、加賀藩ゆかりの金沢市東山鎮座の宇多須神社に寄贈され、宇多須神社宮司殿の仲介にて、利常公ゆかりの当社に10本の苗木が寄贈されました。いただいた苗木を植栽したのが平成14年6月28日のことです。以来、10年間の間に10株のうちの２株が成木となり、晩秋には紅葉をみせてくれます。下図は昨年の模様です。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120329_2815670.jpg" width="400" height="300"><br><br>　ところが、境内地のこの部分が梯川河川事業用地に入るため、切り払われることとなりましたが、移植の可能性をさぐるために、２株のうちの1株に根回しをすることとなりました。<br>根回しのために穴をほってみますと、主根はまっすぐ下方に伸びていますが、下図に示しますように、ある程度の太さの側根は地表面近くにのみあり、そこから主要な栄養分をとっていることが判明します。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120330_2816257.jpg" width="400" height="300"><br><br>　こうした場合の移植の成否はもっぱら環状剥皮の成果にかかっています。環状剥皮とは、側根の皮を剥ぐことです。この剥いだ部分に堆肥を施して、剥いだ部分からの新芽が沢山出てくれば、移植可能となります。ところが皮を剥いだ部分から腐朽菌などが侵入すると根の壊死部が広がって新芽は期待出来ず、移植は困難となります。またこの場合、脇にもう一つの株があるため、その部分の根については手当がしにくく、変形根鉢にする必要があり、このような環状剥皮作業は大変難しいものととされていますが、その作業に熟練した職人さんの手により、本日、ようやくその作業を行うことが出来ました。下図はその作業風景です。地表面近くの側根の剥いだ部分に堆肥を入れているところです。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120329_2815671.jpg" width="400" height="300"><br><br><br>]]></content></entry><entry><title>春季例祭と震災復興祈願祭の斉行</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=75" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=75</id><issued>2012-03-25T20:22:00+09:00</issued><modified>2012-03-27T22:17:42Z</modified><created>2012-03-25T11:22:00Z</created><summary>&amp;nbsp;早朝より粉雪がまう本日、当社の春季例祭と東日本大震災復興祈願祭が斉行されました。春季例祭は御祭神の菅原道真公のご命日である旧暦２月２５日にちなんでとりおこなわれています。京都の北野天満宮では現在も2月25日に梅花祭として斉行されていますが、当社では...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>祭典・行事</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;早朝より粉雪がまう本日、当社の春季例祭と東日本大震災復興祈願祭が斉行されました。春季例祭は御祭神の菅原道真公のご命日である旧暦２月２５日にちなんでとりおこなわれています。京都の北野天満宮では現在も2月25日に梅花祭として斉行されていますが、当社では明治維新後は3月25日におこなわれています。今年は例年になく梅の開花が遅い年でしたが、梅園の紅梅は見頃をむかえていて、早朝より愛好家の方々が梅にウグイスの写真をとろうと頑張っておられました。例祭には、11年前の大万燈祭（菅公没後1100年祭）に献華式を執り行っていただきました「古流柏葉会」の方々によりご神前にお花が奉納されました。力強い椿の葉と谷わたりの濃緑が要所をしめる中に、菊、ゆり、サンシュユの花が彩りを添え、清楚な香りがただよう素敵な応用花の奉納となりました。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120325_2810963.jpg" width="300" height="470"><br><br>　<br>　昨年の例祭につづき、今年も震災復興祈願祭があわせて斉行されました。祭典のお供え物には、生命力あふれる自然の産物が多く捧げられますが、これも常に元気で前向きに生かしていただきたいとの願いのあらわれでもあります。被災地ゆかりの品をおそなえして祭典をさせていただきたいと、石川県神社庁の方々とも相談して、福島県会津の方々が心を込めて造られている「起き上がり小坊師」をとりよせて、ご神前に奉納し、式典後には参列者各位におさがりとして受けて頂きました。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120325_2810962.jpg" width="400" height="330"><br>　<br>　それにしましても昨年3月25日の復興祈願祭では「原発現場で立ち働く人々が、人並みはずれた智恵と細心の注意力と連帯心を持して放射性物質排出を一時も早く防止すること」へのご加護を祈願いたしましたが、その後、福島原子力発電所の内部ではメルトダウン（炉心溶融）の危険性がありうるなど依然油断できない状況にあることが知られるようになってきました。我が国は江戸時代中期以降、特に、明治維新以降は、進んだ西洋文明の吸収に鋭意努力してきましたが、もはや先生のいない状況に入りつつあります。30数年前の米国スリーマイル島の原発事故では、メルトダウンした燃料は（幸いにも）隔離された状態で保管中であり、処理にはいたっていないとのことです。<br>　西暦607年聖徳太子は進んだ大陸文化を学ぶために遣隋使を派遣されました｡その後、300年近くの間、鋭意、大陸文化の摂取に努力され、その象徴たる漢詩文において我が国独自の境地を開かれたのが菅公でありますが、その菅原道真公が西暦894年（寛平6年）に遣唐使中止を進言され､長年続いた大陸文化の摂取に終止符を打たれました｡その後、国風文化が花開きましたことを思いますと、震災復興へのご加護とともに、原発事故の影響を最も受けやすい若い世代の人々に新たな学術文化産業の開拓への向学心のご加護を強く願う祭典ともなりました。<br>　ただ一点心配なことがあります。メルトダウン対策はじめとする原子力発電所の安全終息にむけての課題を克服していくためには今後とも関連する学術研究は不可欠ですが、はたして、新入生が原子力工学科といった原子力関連学問分野に進学する意欲はどうなるでしょうか？先の見えたというか後ろ向きの研究は敬遠されがちです。それゆえ、これまでは原発の新増設を所与条件として政策を運用することで新しい優秀な人材の獲得を目指してきたのです。<br>　こうした姿勢は改めねばなりませんし、改めざるを得なくなるでしょう。そこで提言です。原子力の安全終息に関する研究と自然エネルギーの促進の研究とが相互互助となるような研究を見つけ目指すことです。これまでの原子力研究は、五重の防壁と放射性廃棄物処理を等閑視することで自然界と隔離して、完全に人工的な空間にてｴﾈﾙｷﾞｰを（特殊会計処理にて）安価に大量に生産する方式にかんする研究でした。これと対局にあるのが自然エネルギー利用に関する研究です。対局にあるもの同士を結びつけることを目指すべきです。一見、対局にあることでも密接な関連をもちうることを念頭に分析をすすめることは数学の世界の実数と虚数だけでなく、脳神経科学にみる情動・理性、中国伝統科学にみる陰・陽や表の五行・裏の五行など古来から人類の知的営為の目指してきたことです。そうすることが安全終息に関する研究を放棄せずに、なおかつ、代替自然エネルギー研究をも促進していく有効な途と思います。<br><br><br><br><br>・]]></content></entry><entry><title>ウグイスの初鳴き</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=74" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=74</id><issued>2012-03-17T12:54:00+09:00</issued><modified>2012-03-17T03:54:13Z</modified><created>2012-03-17T03:54:00Z</created><summary>今朝、参詣者もまばらな境内にウグイスの初鳴きがひびきわたりました。例によってまだ鳴き方も幼稚なままでで、ホーホーぐらいですが。それにともない参道や梅園の紅梅が見頃になってきました。以下に、参道の芭蕉の句碑のあたりの紅梅と梅園の現況を紹介します。白梅はま...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>四季の景色</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[今朝、参詣者もまばらな境内にウグイスの初鳴きがひびきわたりました。例によってまだ鳴き方も幼稚なままでで、ホーホーぐらいですが。それにともない参道や梅園の紅梅が見頃になってきました。以下に、参道の芭蕉の句碑のあたりの紅梅と梅園の現況を紹介します。白梅はまだまだというところです。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120317_2801832.jpg" width="400" height="300"><br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120317_2801831.jpg" width="400" height="300">]]></content></entry><entry><title>ようやく開花しはじめました</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=73" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=73</id><issued>2012-03-12T07:10:00+09:00</issued><modified>2012-03-11T22:10:25Z</modified><created>2012-03-11T22:10:00Z</created><summary>&amp;nbsp;今朝は寒い北風がふきあられの降る夜明けですが、梅園の紅梅がようやく咲き始めました。主として参道沿いの白梅は、春季例祭の３月２５日頃に咲くようにと遅咲きの梅の品種を選んで植栽されましたが、梅園の紅梅は早咲きの品種を選んで植栽されています。それでもこ...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>四季の景色</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;今朝は寒い北風がふきあられの降る夜明けですが、梅園の紅梅がようやく咲き始めました。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120312_2796139.jpg" width="400" height="300"><br><br>主として参道沿いの白梅は、春季例祭の３月２５日頃に咲くようにと遅咲きの梅の品種を選んで植栽されましたが、梅園の紅梅は早咲きの品種を選んで植栽されています。それでもこのように遅く咲き始めましたから、３月２５日の白梅の開花はどのようになるのでしょうか。<br>　また、今朝には立派なというか成鳥の雉子の雌が２羽梅園で餌をつまんでいましたが、すぐに飛んでいってしまいましたから写真をとる暇もありませんでした。梯川の河川敷でもよく見かけますから、当社境内も生息域に入っているのでしょう。河川改修にもめげずに生き続けてほしいものです。]]></content></entry><entry><title>ようやく一輪開花</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=72" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=72</id><issued>2012-02-27T08:37:00+09:00</issued><modified>2012-02-27T04:03:52Z</modified><created>2012-02-26T23:37:00Z</created><summary>&amp;nbsp;零下の降雪の中　本日早朝当社梅園の紅梅の花一輪が開花しました。寒さにもめげずに花をさかす力強さです。受験生諸氏には気力を充実させて入学試験に合格され志望の学校に入学されますことを祈念いたします。ちなみに以下に昨年２月２４日の開花状況と一昨年立春２...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>四季の景色</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;零下の降雪の中　本日早朝当社梅園の紅梅の花一輪が開花しました。寒さにもめげずに花をさかす力強さです。受験生諸氏には気力を充実させて入学試験に合格され志望の学校に入学されますことを祈念いたします。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120227_2778945.jpg" width="500" height="375"><br><br>ちなみに以下に昨年２月２４日の開花状況と一昨年立春２月４日の様子をおしめしします。昨年の今頃はかなりの開花がみられましたし、一昨年にいたっては見事な雪月花の風景を楽しめたものです。これをみても如何に今年の開花が遅いかがおわかりと思います。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120227_2778946.jpg" width="400" height="300"><br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120227_2778947.jpg" width="400" height="300"><br><br><br><br><br><br><br><br>]]></content></entry><entry><title>鎮守の森の枝打（その３）</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=71" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=71</id><issued>2012-02-21T11:57:00+09:00</issued><modified>2012-02-21T03:00:54Z</modified><created>2012-02-21T02:57:00Z</created><summary>昨年10月14日のブログで紹介しました、当社北側の輪中堤構築に際する矢板打ち込み工事に支障になる立木、わけても指定文化財なる当社社殿を北風から保護してきていますスダジイの枝打が早春をまって過日実施されました。幸いにも降雪もやんで晴天日の実施となりました。下...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>鎮守の森</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[昨年10月14日のブログで紹介しました、当社北側の輪中堤構築に際する矢板打ち込み工事に支障になる立木、わけても指定文化財なる当社社殿を北風から保護してきていますスダジイの枝打が早春をまって過日実施されました。幸いにも降雪もやんで晴天日の実施となりました。下図の白丸内は、今回の枝打ち箇所の一部を示しています。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120221_2771816.jpg" width="640" height="480"><br><br>&nbsp;上図は枝打ち作業の途中経過ですが、枝打ちをした枝の何本かに中に穴が空いているものが見られます。拡大しますと下図のようになります。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120221_2771817.jpg" width="400" height="300"><br>この穴は「くされ」が入っている印ですが、この枝の場合は、やや上方に写っている「くぼみ」から水などが入り込んで腐って入っているものです。こうした「くされ」を放置しますとますます「くされ」が内部に進行しますので、このくされの進行していない「ブランチカラー」のところで枝打ちをすることになります。<br>　それと昨年９月９日の本ブログで紹介しましたように「くされ」をキニヌール等で治療後のスダジイの枝先の葉が枯れてきています。下図は写真では明瞭ではありませんが、枯れ葉の様子です。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120221_2771818.jpg" width="640" height="480"><br>この状態を放置しますと、本体の幹にまで「くされ」が進行してしまいますので、今回はやはり「ブランチカラー」のところで枝打ちをして、トップジンMペーストで防腐処理をいたしました。下図が処理後の様子です。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120221_2771819.jpg" width="400" height="300"><br><br>幸いにもブランチカラーのところまでは「くされ」が入り込んでいませんでした。指導頂いた樹木医さんの助言を踏まえて、今後は、定期的（梅雨前と台風後）に切り口を観察して防腐処理をするなどの育林作業を継続していくことになりました。<br><br><br><br>]]></content></entry><entry><title>騒音評価式に親しむ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=70" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=70</id><issued>2012-02-18T16:03:00+09:00</issued><modified>2012-02-18T07:25:00Z</modified><created>2012-02-18T07:03:00Z</created><summary>私どもの古里小松には我が国の防空を担当する小松基地と共に民間飛行場の小松空港があります。飛行機の場合は揚力のために風向きに向かって上昇しますから、小松飛行場の東北方向に位置する当社周辺には、北風から東風の時に飛行機が飛来します。下図は、航空ショーの練習...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>科学に親しむ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[私どもの古里小松には我が国の防空を担当する小松基地と共に民間飛行場の小松空港があります。飛行機の場合は揚力のために風向きに向かって上昇しますから、小松飛行場の東北方向に位置する当社周辺には、北風から東風の時に飛行機が飛来します。下図は、航空ショーの練習にて飛来した８機編隊飛行の様子です。着陸時については、民間機の場合は必ずといってよいほど当社上空から飛行場に着陸します。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120218_2767868.jpg" width="400" height="300">&nbsp;<br>さて、航空機騒音のうるささ指数として「WECPNL」（加重等価連続知覚騒音レベル）があります（よくW値と略称されます）。この指数の理解には、精神物理学（知覚心理学）や統計学の知識を使用しますので、ここで紹介してみます。<br>　音のうるささは人間の五感のうち聴覚にかかわりますが、19世紀のドイツの生理学者であるE. Weber と彼の弟子であった物理学者のG.Fechner は、五感による人間の知覚に関して「人間の感覚量は物理的な刺激強度の対数に比例する」という法則を発見しました。音の場合、音の物理的な大きさはパスカル (Pa)で表示されますが、一パスカルとは、一平方メートルにつき一ニュートン（N、昨年の11月10日のブログに登場)の力が作用する圧力のことをいいます。人間の知覚する音の感覚の強さを示すにはデシベル(dB)単位を使用します。ただし、人間の耳の聴くことの出来る最小音は２０マイクロ・パスカル（V)といわれていますから、これとの相対値の二乗の対数値として、以下の式にてｐパスカルの音刺激に対する感覚騒音レベル　L（感覚量としての音の大きさ）を定義します：<br>　　　L＝１０・log(p・p/V・V) dB = 20 log(p/V) dB <br>ここで、対数は１０を底とした常用対数を使用します。このｄB値は騒音計にて計測しますが、WECPNLで使用するのは、ピーク騒音値です。上図のような航空機の場合は、徐々に騒音値が高まってきて観測点の上空にきたときにピークになり、それから徐徐に減衰していきますから、ピーク値は比較的求めやすいものです。<br>　さて、1日のうちでは、ピーク騒音値の値もばらつきますし、多くの騒音値が得られます。また、同じ騒音値でも寝静まっている深夜や早朝の場合はよりうるさく感じるものです。これらを考慮して、我が国では以下の式にて　WECPNL　を定義しています：<br>　WECPNL　＝　ｄB（A)　＋　１０・log(N) ー　２７　<br>ここで<br>　　　N=　N２　＋　３・N３　＋　１０・（N1　+　N4)<br>、N１とは午前0時から6時59分までの騒音発生回数、N２は午前7時から午後6時59分までの発生回数、N３は午後7時から午後9時59分までの発生回数、N４は午後10時から午後11時59分までの発生回数となりますから、深夜と早朝の騒音発生回数は大きく評価されるようになっています。また、dB(A) とは、個別のピーク騒音値を対数変換される前の騒音エネルギー量に戻してから足しあわして平均化した「音のエネルギーの平均値」をだし、それを対数変換して感覚量に直したものです。式で表示すると<br>　　dB(A) ＝　１０・log ( (<font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ Ｐゴシック";'>?( 10**(第i番目のピーク騒音値) ) /n )&nbsp; <br>となりますが、ｎ　は騒音発生回数のことです。<br>　<font size="2">今例として、毎日のWECPNL値を計算して29日分として29個のデータが得られたとします。この時に、この29個のデータを小さいもの大きい順番に並べ替えてみたときに以下のようになったとします：<br><br>　48.6&nbsp; 59.7&nbsp; 68.2&nbsp; 69.4&nbsp; 69.5&nbsp; 71.7&nbsp; 72.3&nbsp; 72.9&nbsp; 72.9&nbsp; 73.6&nbsp; 75.5&nbsp; 77&nbsp; 77.2&nbsp; 77.4&nbsp; 78&nbsp; 79.6&nbsp;&nbsp;&nbsp; <br>&nbsp; 80.4&nbsp; 80.8&nbsp; 81.2&nbsp; 82&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;82.4&nbsp;&nbsp; 82.7&nbsp; 83.2&nbsp; 83.4&nbsp; 83.6&nbsp; 84.1&nbsp; 84.4&nbsp; 85.3&nbsp; 85.7&nbsp; <br></font><br>順位１番から29番目までを１００％までに均等に並べたときの９０％のところのWECPNL値のことを、この値の観測された地点のW値といい、この場合は、84.1　と求められます。<font size="2">もちろん、法的な意味でのW値は長期間にわた観測値から求められますので、もっと沢山のデータが必要になりますが、原理的にはこのような算定式になっています。<br>　以上の算定式のうち、Weber-Fechner法則については前回紹介した脳科学との関わりが知られているようです。すなわち、音波が鼓膜に達してから知覚されるまでには、途中の神経回路において神経細胞の発火によって伝達されねばなりませんが、到達する音波を対数変換なしに伝えていたのでは膨大な数の神経細胞が必要になり、情報伝達のコストを節約するためにも対数変換して伝達しているのではないかといわれています。生体系にもコスト計算の視点があることは興味深いことです。<br>　</font><br>　<br></span></font><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">

</font><br><br>]]></content></entry><entry><title>意志決定の科学：総合学科のカリキュラムとの関連にて</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=69" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=69</id><issued>2012-02-09T15:32:00+09:00</issued><modified>2012-02-12T22:25:21Z</modified><created>2012-02-09T06:32:00Z</created><summary>&amp;nbsp;　高校に進学する中学生諸氏がまず直面するのはどの高校に進学するかだけでなく、普通科か職業教育に関係する専門学科（商業、工業、農業など）か、総合学科（これをもつ都道府県は少ないが）かなどを選択することです。これに関係するのが意志決定ですが、意志決定...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>科学に親しむ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;　高校に進学する中学生諸氏がまず直面するのはどの高校に進学するかだけでなく、普通科か職業教育に関係する専門学科（商業、工業、農業など）か、総合学科（これをもつ都道府県は少ないが）かなどを選択することです。これに関係するのが意志決定ですが、意志決定は受験だけでなく、就職や仕事上（商品開発や営業戦略や人事決定や投資決定など）や結婚など人生を通じて数限りなく遭遇する避けられないものです。<br>　とある県のとある高校の総合学科のカリキュラムは以下のようになっています：<br>二年次　古典、英語(2)、オーラルコミュニケーション(1)、ライティング、隣国の言語, 数学(B)、世界史、日本史、政治・経済<br>三年次　古典、国語表現、英語(3)、オーラルコミュニケーション(2)､ライティング,リーディング、数学(2)、教養数学、物理、化学、生物<br>となっています。諸外国とのつきあいには言語習得だけでなく世界との関わりでの自国の文化についてよく知った上で交流をはかることが必要ですからそれに関連した科目だけでなく、アリストテレスが強調したように、人間が人間であることの最大の特徴は言語を用いて他人とコミュニケーションすることでありますから、自己表現能力の向上にかかる科目がありますが、理系科目の必要性は何でしょうか？　<br>　政治・経済と数学、物理、化学、生物の全てにかかわる学問分野の例に「意志（意思）決定の科学」があります。大学の経済学では主として市場経済下での消費者や生産者や投資家の意志決定だけでなく、市場経済の働きに公共政策を用いて影響を与えようとする政策立案者の意志決定を学びますし、心理学では光や音や重さなどの人間の知覚や恐怖といった現象の認識のメカニズムや経済学では合理的でないとされる意志決定を何故人間はするのかの理由解明などを学びますが、近年、こうした分野の意志決定が神経科学の知見とかなり相関していることが判明しています。神経科学では、サルなどの動物が利得（甘いｼﾞｭｰｽ）と利得をもらえる確率の異なる目標を選択する際の大脳の働きのメカニズムなどを研究していますが、こうした研究成果と経済学や心理学といった人間を対象として意志決定研究との関連が注目されるようになってきています。<br>　自由意志にもとづく選択とは何なのか、学習過程や記憶は人の選択にどのような影響を与えるのか、選択にともなう不確実性を進化の過程はどう扱ってきたのか、これまで観測されてこなかった現象に対処する際の意志決定はどうあればよいか、これらは一例ですが、そうしたことの解明に資することが期待されています。こうした学問分野を学ぶには上述した科目はどうしても必要になります。<br>　神経細胞が刺激をとりこみ、より上位の神経細胞に情報をつたえつつ情報を整理して対応（眼を動かしたり、腕を動かしたりなど）する仕組みを理解することをとっても、物理学や化学や生物学の知識が必要になりますし、実験を計画しその結果を検証するためには数学の知識も必要になります。<br>　本ブログで紹介した意志決定の科学の基礎知識は総合学科だけでなく、普通科や理数科に在籍している学生さんもそのつもりで科目選択すれば可能となるでしょうが、ここでの紹介が昨年11月10日のブログで紹介した、「現在学んでいることが役に立つのでしょうか？」という高校生さんの質問への参考回答になれば幸いです。<br>　<br>]]></content></entry><entry><title>今年の立春は雪景色</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=68" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=68</id><issued>2012-02-04T05:05:00+09:00</issued><modified>2012-02-03T20:05:08Z</modified><created>2012-02-03T20:05:00Z</created><summary>&amp;nbsp;今年の立春は静かに雪の舞う朝を迎えています。下図は社殿に向かう参道からの早朝の風景ですが、十五重塔の各層に雪が吹き付けて存在感を際立たせています。</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>四季の景色</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;今年の立春は静かに雪の舞う朝を迎えています。下図は社殿に向かう参道からの早朝の風景ですが、十五重塔の各層に雪が吹き付けて存在感を際立たせています。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120204_2750090.jpg" width="348" height="271"><br>]]></content></entry><entry><title>文化財保護法の改正と千代神社</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=67" /><id>http://komatsu.bairin.sub.jp/?eid=67</id><issued>2012-02-02T10:32:00+09:00</issued><modified>2012-02-06T21:34:19Z</modified><created>2012-02-02T01:32:00Z</created><summary>&amp;nbsp;もう随分前のこととなりますが、昭和50年代に当時の宮司より「国の重要文化財に指定されている神社で移転したところがあるかどうか調査するように」との指示が社務所になされたことがありました。この背景には、昭和50年の文化財保護法の改正により、文化財の定義が...</summary><author><name>bairinnet</name></author><dc:subject>文化財保護法</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;もう随分前のこととなりますが、昭和50年代に当時の宮司より「国の重要文化財に指定されている神社で移転したところがあるかどうか調査するように」との指示が社務所になされたことがありました。この背景には、昭和50年の文化財保護法の改正により、文化財の定義が整備されて、第二条第一項において、有形文化財とは<br>　<br>　建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの（これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む）。。。。<br>と定義され、特に、括弧内の文章が挿入されて、文化財が保存継承されてきている場所が重視されるようになってきたことがありました。　<br>　宮司の指示をうけて文化庁などにも問い合わせて調査したところ、唯一、滋賀県彦根市にある千代神社さんを紹介されたことがあります。当時は電話などで経緯をお教え頂いたのですが、このたび、お参りさせていただく機会がありました。下図が千代神社の正面からの写真です。御祭神は天の岩戸神事において踊りを舞われた天宇受売命さまです。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120202_2747694.jpg" width="400" height="300"><br><br>正面にみえる拝殿の後方にある本殿が国の重要文化財に指定されています。<br>第８代の孝元天皇の頃に創建と伝えられる古社ですが、往古からの鎮座地は佐和山の麓でした。ところが、四国平定をなしとげた秀吉が関白になり五奉行制をひいた天正13年(1585)に、石田光成が佐和山に築城するにあたり、城の下方にある千代神社を彦根山麓に移築いたしました。これが最初の移転でした。下図が佐和山城跡地の現在の風景です。<br><br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120202_2747695.jpg" width="400" height="300"><br><br>関ヶ原の合戦後に彦根藩主になった井伊直政が彦根城を築くにあたり、千代神社を再び佐和山の麓に戻しました。これが二回目の移転です。昭和40年代の高度成長期に境内地の上方にあったセメント工場からの粉塵公害がひどくなり、文化財保護委員会および文化庁長官の許可を得て現在地（御輿渡御などでゆかりの地）に３度目の移転をしたという経緯です。これはやむを得ない移転事例ではありましたが、最後の移転の原因となったセメント工場は平成8年に廃業になり、現在は、ショッピングセンターに生まれ変わっていました。下図は、その模様です。<br><img class="pict" alt="" src="http://img.komatsu.bairin.sub.jp/20120202_2747696.jpg" width="400" height="300"><br><br><br>]]></content></entry></feed>
