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撫牛像の一時動座
 皆様に親しまれています当社撫牛像は越前(福井県)浜坂浦の城谷氏(当時の古文書より城谷労助氏でないかとおもわれます)より慶応元年に奉納になりました。城谷氏は北前線の船主をされており、海上交通安全・商売繁盛を願って奉納されました。このたび、堤防改修工事のため一時的に動座することになりました。下図が移築前の鎮座風景です。


 この鎮座地は、もとは当社対岸よりの船着き場があったところです。船着き場には黒門があり、創建者の利常公も小松城から参詣の折には対岸より船で梯川を渡り、この黒門を通って境内に入られました。利常公は寛永15年(1638)加賀藩足軽小頭杉原九郎兵衛をして加賀より関門海峡、瀬戸内海を通る西回り航路を開拓され、その後の北前船交易時代をきり開かれました。撫牛像の鎮座地としては、北前船航路を開拓された利常公の参詣されたこの黒門のあたりが最適として現在地におかれています。昭和の河川改修前の黒門当時の情景を示す古写真を下図に示します。

 この度、平成の河川改修により、堤防の改築工事が行われることとなり、撫牛像を一時的に移転せざるをえなくなりました。昭和の河川改修以前は、撫牛像は社殿前におかれていましたから一時的に社殿前に移動し、改修後に現在地に戻すことになりました。社殿前におかれていた頃の情景が、当社対岸の葭島神社宮司をされ、文人であり絵師でもあった浮見駒太郎氏(号、凰年)の描かれた「江戸の小松年中行事十四景」の中に描かれています。その画は、毎年11月25日に斉行される当社特殊神事「お火焚神事」において社殿前で行われる「おかゆ炊」の模様を描いたものです。浮見氏の画帳を所蔵されている郷土史家大西勉氏より画帳の複製画が奉納になりましたので、ここに当該画を紹介いたします。

この頃の風景を示したのが次ぎにしめす古写真です。


この写真は撫牛像の背後(西側)からとったもので、左側に社殿があり、参道の向こう(東方)に神門がみえます。下図が動座した現在の画像です。

現在は、奥の方に絵馬掛台がありますので、そこへの通行路を確保するために、撫牛像は昔の場所よりもやや社殿よりに動座させていただきました。

author:bairinnet, category:神社と河川改修, 11:09
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