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連絡橋橋台建設工事地鎮祭とアクセス路の一部変更
 昨年12月26日のブログで紹介しました当社への連絡橋橋台建設工事の地鎮祭が本日、当社奉賛会役員および工事関係者が参加して斉行されました。下図は式場から橋台建設場所方向を写したものです。前方にみえる道路は当社の立地する天神町から隣の上牧町方面に向かう市道です。建設される連絡橋は、この市道と輪中堤内の当社東参道を繋ぐ橋梁となります。


下図は文化10年(1827年)作成の古絵図の当社周辺部に着色等したものです。水色は河川と用水路を示しています。梯川は明治末期から昭和10年代初頭にかけての河川改修により流路の直線化と高水対策用の堤防構築が行われました。図中の用水路は、手取川から取水される宮竹用水の末端に位置していますが、現在の用水路はこの時代よりも流路が変更され、また、本数も増加しています。ちなみに、「湊往来」とかかれた道路は、小松から手取川左岸の湊町に通じる主要道でしたが、明治維新後にはなくなり、現在ではこのあたりには西川用水が流れています。当社の北側(図の上部)を流れる用水路は幅は狭くなりましたが、つい最近までは当時のままに流れていました(河川改修により、やや北側に付け替えられました)。

今回建設される連絡橋の橋台二基は、上図の赤線二本で示された位置付近に建設されるものです。ただし、今度は、用水路をまたぐのではなく、梯川からの分水路をまたぐ形で建設されるものです。上図の用水路は、明治時代頃までと思いますが、かっては幅も広く流量も豊富で、多くの資材を積んだ船が上流まで上っていったようです。能美市中ノ江町のとあるお宅を訪問した際に、入口から入ってすぐのお部屋の障子の上でしたでしょうか、太くて大きな横材(楣、まぐさ)に目がとまりました。明治時代に先祖の方がお宅を建てられる時に、このまぐさを、当社北側を流れる用水を使って運び上げたということでした。
 上図に示す「湊往来」や「安宅本街道」へは当社北側のこの用水路にかかる橋をわたって行き来しましたが、下図に示しますように、今回の工事によりこの由緒ある橋は廃止され、通行止めとなりました。また、東参道も一部付け替えが予定されていますが、当社に通じる道路には案内看板が設置されていますので、それに沿ってお参りして頂くようにお願いいたします。また、昨日も大型観光バスの参詣者がこられましたが、出来るだけ根上方面からこられて小松大橋手前から案内看板に従って当社に参詣されますようにお願いいたします。昨日の運転手の方は「なんとか回れた」といっていましたが、小松駅方面からこられると左折してすぐにまた左折と回転がかなり窮屈になると思います。
author:bairinnet, category:北国脇街道・湊往来, 14:03
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