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玉泉院丸と作庭記(2)
 金沢城内の詳細図として最も初期の絵図面に、「加賀国金沢之絵図」(寛文8年、1668)があります。これを拝見しようと金沢市立玉川図書館に出向きましたが、大部な地図であることと事前予約が必要とのことでしたので、かわりに関連する地図を探していましたら、年代不詳ですが、文政4年(1821)に新築された御武具奉行所御土蔵が書かれていますから、その頃作成されたとおもわれる「玉泉院丸絵図」(手写絵図1枚)がありました。この図には前回とりあげました案内看板に示す「御城中壱分碁絵図」では明瞭でなかった「お亭」が紅葉橋の近くに存在することが明確に記されていました。下図は、紅葉橋たもとの案内看板図です。


 黄緑の丸印で囲んである建物が、宝形造りのお亭(ちん)(東屋)です。四方が開放的な建物でここに腰掛けて庭を鑑賞したものと思われます。このお亭の位置は遣水の腹にあたる部分に立地していますから、「作庭記」の記述に合致しています。そこで、ここから見える瀧口のおおまかな方位を計測してみることにしました。そのために、木の紅葉橋を取り去って水路を埋めた時に築かれたと思われる石積み(と階段状の構造物)を参考にして橋の長さと橋からお亭までの長さをおおまかに計測してお亭の位置を同定してみることにします。そのために、下図の案内看板を参考にしてみます(記号等は本ブログ用に挿入)

まず、絵図上の橋の長さは案内看板上の記号A-Bで約6センチ、橋の袂からお亭までの距離(看板上の記号C-D)で約8センチ。下図は橋のあったところに築かれたと思われる石積みです。



この石積みと階段状の構造物を参考にして橋の長さを歩数ではかり、絵図の比率を掛けて、橋のたもとからのお亭の位置を推定しますと、下図のコンクリの丸柱(茶色の丸印で表示)あたりです。

ここから滝口方面を見て方位をはかりたいのですが、樹木が邪魔して滝口が見えません。それでも滝口あたりと思われる方向を定めて方位をはかってみました。その状況を示すのが下図です。


方位は磁北からおよそ東へ97度です。国土地理院HPで調べた現在の偏角は西偏7度30分です。玉泉院丸の案内看板に示す「御城中壱分碁絵図」上に方位を示してみたのが下図です。

お亭からみて滝口はほぼ真東にあります。絵図の作成された江戸後期がいつをさすか明かでありませんが、地図センターHPに示す「日本の偏角の永年変化」によれば、1820-40年代の偏角は西偏1-2度ですので、ほぼ真東近くとみてよいと思います。東から南にまわして南西に出せば「作庭記」の遣水にあっていると思いますが、排出口が不明ですので何ともいえません。また、前回のブログで説明した滝口の石材である坪埜石(色は黒色)は、本来は北側に使用される色彩ですが、相生の理からいって東側にも使用されることは「作庭記」の記載にもあっています。
 作庭記には、瀧石の組み方は、瀧の正式な鑑賞方向にそって行うとして詳細な石組の説明があります。お亭からは滝は左方からみることになりますが、瀧口の右側と左側の脇石や避き石が作庭記の仕法に沿って組み立てられていたのかは、いまだ明らかにされていません。

 





author:bairinnet, category:玉泉院丸, 19:52
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