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出開帳時の奉納者を尋ねて

 当社向拝正面に吊されている唐金造六画釣灯籠(下図)は文政二年(1819)の金沢観音院への当社出開帳時に奉納されたものである。

この釣金灯籠は、出開帳時の五月四日(旧暦)に桃と共に奉納されたものであります。当社の祭典には多く桃が神饌として供えられますが、この出開帳時にも桃が合わせて奉納されています。奉納者は加陽金府鍵街醉墨洞社長 高田魯であります。例年この時期になりますとこの奉納者がどこに住んでどういう人なのかが気になっていましたが、今年は金沢市立図書館に出かけて学芸員さんの助けを借りながら調べてみました。
 鍵街とは明治4年に金沢市上新町に編入され、現在は、尾張町二丁目になっている町です。下図は、金沢市図書館叢書(2)「金沢町絵図」より鍵街周辺部分を手書きで表示してみたものです。上が北になっています。「石川県の地名」によれば、金沢城の西内総構堀に接し、新町の分出町のように扱われていました。町筋の屈折が鍵に似ていることから町名がついたとされます。釣金灯籠の奉納された文政2年より8年前の文化8年(1811)当時の家数は21軒、下図のA-Dの住人が判明しています。

A は、御作事棟梁近江屋宗蔵、B は三ケ所御用医師小柳昌意、C は能州奥郡惣代で遠所旅人宿を営む館屋丈助、D が手跡指南高田専悦です。絵図のDには「高田末松」とあり、21軒中には他に高田姓は見当たりません。また手跡指南とは寺子屋の師匠のことであり、Wikipedia「寺子屋」の説明によれば、寺子屋の「子屋」が「こや(小屋)」に通じる点や、「屋」が屋号に通じる事が教育の場の名称にふさわしくないということで、「手跡指南」と呼ばれたといいます。また、鍵街住民の多くが屋号で呼ばれており、屋号の付いていないのは、医師の小柳氏とこの高田末松だけのようですから、この末松が専悦でないかと思われます。寺子屋の師匠さんですから、天神様の出開帳に奉納される方としてはぴったりの方ですが、奉納者の名前は高田 魯であり、職業も醉墨洞社長となっています。醉墨洞とは寺子屋等で使用する筆や墨などの学芸品を扱う店のようですから、Dで示す寺子屋師匠さんともかかわりがある人と推定されます。以上、今年は少しく奉納者の正体に近づけました。


 

author:bairinnet, category:神社の歴史, 13:32
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