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名山の見える方位に意味があるか?
  ゴールデンウイークに開園するために現在、玉泉院丸は閉鎖中のため、前回の「小松城と小堀遠州」の続きをしてみます。天守櫓台から丑の方に宝達山が見え、裏式台から辰の方に白山見ゆ、と本丸御殿絵図には書き込みがありましたが、いくつかの疑問が生じてきます。1)この方位には何か意味があるのでしょうか?2)意味があるとしても、天守台や本丸御殿の建立時からそのように意味を踏まえて建物配置を決めたのでしょうか、それとも後年の付加か?なぜなら、この「小松城御本丸御殿之絵図」の作成年代として、「新修小松市史」では天明6年(1786)から文化6年(1809)のこととしているから、建立時の絵図面ではないからです。
 まず、1)についてです。方位を表すには、八方位(八卦にあわせる)、十二方位(十二支にあわせる)、二十四方位(羅径盤の正針に対応)など種々の方法がありますが、ここでは、辰の方と丑の方という具合に、二つとも十二支方位を使用しています。偶然とも考えられますが、一応、意図的に十二支方位を使用したとしてみましょう。宝達山は金山で有名です。天正12年(1584)頃に宝達山に金山が開かれたといわれます。一方、神仏習合時代の白山信仰では、白山三御山の主峰たる大御前の下方の剣山の麓にある翠池より九つの頭をもつ龍(九頭龍王、白山妙理権現の化身)が出現したといわれていました。これらと丑方位と辰方位とを江戸時代の識者には常識であったとおもわれる知識にあてはめてみて思い浮かびますのが、中国前漢時代に編纂された『淮南子』(えなんじ)天文訓で最初に論じられた「三合の理」です。
 これについては、吉野裕子氏が氏の全集において多くの箇所で説明していますが、下図は十二支方位と、丑方位にかかわる「金気の三合」(赤の実線)と辰方位にかかわる「水気の三合」(赤の点線)を示したものです。金気の三合とは、「巳で生じ、酉で旺(さか)ん、丑で墓となる」というもので、


丑は金気の墓で黄金の山である金山を示すとされます。水気の三合とは「申で生じ、子で旺ん、辰で墓となる」というもので、辰は「水のあつまる水庫」とも、「高いところに上った水が下に降って地上の万物をうるおす」という意味があるとされますので、水を呼ぶ龍にも、翠池にも関連するようです。この「三合の理」は、十二月の十二支についてよくいわれたものですが、建築の分野にも持ち込まれ、吉野氏は神宮の内宮と外宮の建物配置といったものにも応用して考察していますので、方位についても適用されるものとしてみます。確証がありませんが、これが江戸時代を通じて妥当するとすれば、意味がないとはいいいきれません。
 2)については,何ともいえません。作成年代がもう少し後になりますと、加賀藩においても西洋近代科学の受容が進行しますし、また、国学の興隆から、伝統的な東洋思想への関心はうすれていきます。絵図作成が当時の最先端科学者の仕事ということを考えますと、陰陽五行的背景を知っていたなら、意図的に付加することはしないと思います。ただ、この絵図面の書かれた時代が蘭学者の公職追放や朱子学以外の講義を禁止した「寛政の改革」(1787-1793)と同時代ないし近い時代であることと、辛酉革命をきらって改元が依然行われた時代背景を考えますと、以前より事実として知られていたことをそのまま書いたと考えるのが妥当でないでしょうか。
 それにしても思い出しますのは、当社が小松城本丸と金沢城本丸を結ぶ一直線上に立地しているのではないかと社務所にお知らせ頂いた黒岩重人氏を紹介していただいたのが、吉野裕子氏であったことです。もう二十五年以上前のことになります。

author:bairinnet, category:小松城, 17:05
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