- 秋祭りの斎行と敬老の日
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2019.09.05 Thursday
当社秋季例祭式典及び恒例の漢詩奉納祭が9月4日に斎行されました。昌泰4年(901年)正月25日、従二位右大臣という高い位から、左大臣・藤原時平の讒訴(ざんそ)により、太宰員外帥として太宰府に左遷され、2年後の延喜3年2月25日に太宰府の配所でお亡くなりになられた菅原道真公でしたが、その80年後の西暦987年に時の一条天皇により北野社(北野天満宮)において勅祭が行われて名誉快復が進められたことを記念して、当社では毎年9月4日午前に秋季例祭式典が、午後にはわが国の漢詩文大成に貢献された御祭神の遺徳を偲び、小松梅林吟社会員各位らによる第17回目の漢詩奉納祭が斎行されました。奉納漢詩より改元を祝う漢詩と梅林吟社の吟朋をおもう漢詩を読み下し文にて紹介します。
祝新生令和 白嶺 中 誠治
皇子継承し 年紀更(あらたま)る
国書の抜粋で改元生ず
衆人歓喜の同意を表し
永世の安寧と発展の声
梅林の吟朋を憶(おも)いて 明鳳 宮前外彌旺
梅林吟社に為す有るの時
志は大 情(こころ)は深し 喜び知るべく
一意専心 詩もて友を会せば
作詩は多彩にして 興は涯(はて)なし
当社宮司が宮司職を兼務します小松天満宮十五社会の各社では、これから秋季例祭が順次斎行されます。無事に収穫の季節到来を迎えさせていただいた感謝の気持ちをささげる秋祭りですが、9月には敬老の祝日が設定されています。何故、敬老日が9月、それももともとは9月15日に設定されていたかを理解するには竹取物語が参考になります。
御承知のように、中秋の名月の9月15日(旧暦8月15日)、かぐや姫を迎えに月から使いが来訪します。その折、天人はこれを着たらこの世のことは忘れてしまうという天の羽衣と「不死の薬」をもってきました。かぐや姫を慕う帝に、天にかえるためにお会いできないことを記した文と共にこの「不死の薬」を帝に贈ります。もう会えないことを知った帝は、この国の一番高い山でこの「不死の薬」を燃やすことを命じます。「富士山」の命名といわれています。月は満ち欠けを繰り返すことから、月には不死の力や若返りの力があると信じられ、中国の古い説話には月には不死の木があるとされました。この不死の木はモクセイ科のきれいな花と強い香りを発する霊樹とされていました。令和命名の由来となりました万葉集にも、これにちなむお歌があることから、わが国でも古くから月には若返りの力があると信じられていたようです。それゆえ、中秋の名月の9月15日に定められていた敬老の日は、熟年の先輩各位のこれまでの労苦に感謝すると共に若返っていただいて、若者や若輩者と力をあわせてよりよい郷土作りに助力いただくことを祈念する日といえます。また、秋祭りのご神前では、収穫の季節到来を寿ぎ感謝申し上げると共に、ご祭神の御神徳の若返りを祈念させていただくよい機会となります。
当社秋季大祭のご神前には、古流柏葉会小松支部の方により応用花が供えられました。月にあるとされたモクセイ科の霊樹にちなみ、高い真の枝と中位の流の枝には、白くて香りのある花をつけるモクセイ科のソケイ(素馨)が、低い地(受)の枝にヒバを用い、それに秋の花のオミナエシやコギクや秋の色のユリの花をあわせて気品の中にも華やかさをみせる献花をお供えいただきました。