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筆供養神事ほかの夏祭り行事の斎行

 永延元年(987)八月五日北野社に一条天皇が勅使を参向され「北野天満天神」の神号が与えられ、北野祭を勅祭とされました。北野祭はその後、八月四日に祭日変更されましたが、無実の罪にて左遷された菅公の名誉が快復されたことをお祝いするとともに、収穫の季節到来を寿ぐ祭典です。当社では、明治の改暦以降は、94日に例祭が斎行されていますが、84日の当社では夏祭り行事が斎行されます。

 筆供養神事は、江戸時代末期から明治初期にかけて当社宮司家梅林院に寺子屋が開設されていた頃からのものと伝えられているもので、 一には筆の労に報い、二には筆道の上達、学業成就を祈願して、筆塚に廃筆を納める神事であります。「筆」と題する菅公の五言律詩の漢詩があります。筆の先はほそやかであってもその働きは決して軽いものではない。それゆえ、痛んでしまった筆はただ焼き捨てるのではなく、筆塚にほおむって筆の活動をとどめてあげよう。願わくは、筆がよい人の手ににぎられて、すばらしい名声をあげてほしい、といった趣旨の漢詩であります。

 図1は、神事のしつらえの様子を示しています。

筆を納める筆塚の左側に筆の形をした石塔が建立されています。この石塔は明治12年に金沢の石工によって作成されていますので、その頃から現在の神事の形が整えられたものと思います。

この神事は途中途絶えていましたが、東京オリンピック開催の翌年の昭和40年に筆正会を主宰する書道家の加藤石州師の働きかけにより復活し、以来、連綿と斎行されてきています。

 

 

 この筆型の石柱を神籬として、天神様にお下りいただき、神事斎行後に、参列の書道をまなぶお子さんや書道愛好家の皆さんの退筆や書道作品を各位の願いとともに筆塚に収めていただき、忌火によりお炊き上げをする神事であります。

 図2は筆塚に納めている様子であります。

 

 

 

 この筆供養神事に続いて、神殿では、小松天満宮奉賛会員祈願祭や小松天満宮持宮地域戦没者慰霊祭が斎行されました。夏祭りの神殿には、古流柏葉会小松支部の方による応用花が奉納されました。

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 02:20
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