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小松商工祭の斎行と禮華の献花

  加賀藩三代前田利常公をお祀りする小松神社は昭和の大御代は1265日に金沢市の尾山神社より当社に宮渡りされました。御祭神が小松城に入城されたとされる65日に,毎年、小松神社例祭・小松商工祭が斎行されますが、本年も、小松神社の当社への宮渡りに尽力された昭和12年当時の小松商工会の後身たる小松商工会議所会頭殿始め役員各位、利常公のお仕事を引き継いで政に努められている小松市長殿、小松市議会を代表して副議長殿、当社の奉賛会長殿はじめ役員各位参列のもと厳かに斎行されました。小松神社が当社に宮渡りされてから80周年を2年後に迎えることから、社務所ではかねて小松商工祭の由来を調査してきましたが、ようやく由来も判明したことより、本年の例祭では参列各位に宮司より調査結果の概要が紹介されました。小松天満宮HP(日本語サイト)に「小松商工祭の由来」として公開していますので御覧下さい。

  小松城在城時に利常公は郷土の殖産興業に努められましたが、江戸幕府が貨幣鋳造権を独占したことから、加賀藩始め各藩が全国通貨たる貨幣を入手するには、一つは余剰米を大坂米市場にて換金するか、または、殖産興業によって貨幣を獲得する以外には方法がありませんでした。この時期を我が国における殖産興業の第一期とすれば、第二期は明治維新後に、大久保利通が内務卿に就任してから取り組んだ「万国と対等に渡り合える国作りのための全国各地での殖産興業策」ですし、海外領土を失って在外邦人が帰国した戦後の国作りにも産業復興が叫ばれましたが、この戦後の時期は地方から都会への大量の若年労働力の移動および旧海軍基地でのコンビナート造成といった拠点開発によって経済復興をなしとげた時代でありました。高齢化、少子化、若者の地方離れのもとで数十年後には消滅の地方が出るともいわれ、地方創生が叫ばれている現在、若者の地方定着をはかるには、業を興して賑わい新たに成す以外に策はなく、改めて地方都市における殖産興業の大切さが再認識されているため、今年の商工祭はとりわけ厳粛に斎行されました

  式典には古流柏葉会の小松支部により花材に椿を用いた禮華が奉納されました。

 

 

 

 

生けられた方にお聞きしたところ、禮華とは、扇に頭と尾がついた古来のお目出度い形であり、天地の「地」、あるいは「地及び天地の間」を表現するとのことです。確かに、「扇」は末広形、吉祥文様(お目出度い文様)であり、神聖なものを招き寄せる依り代とみなされることから巫女の舞や神楽舞では舞人の必須の持ち物であります。今回の禮華の花器は幾台もの花台の上に置かれていますが、下の方の花台は円形が、上の方の花台は方形になっているようです。天は円、地は方、天の気は澄んで上に昇り、地の気は下降することから、天地相和して、地の気が盛んに生長する様を生けているようで、初夏から中夏にかけてのこの時期にふさわしい献華といえます。ちなみに、正面からはどこが「頭」でどこが「尾」かはわかりませんが、横から拝見すると確かに「頭の枝葉」と「尾の枝葉」の出ているように生けられていることがわかります。眼にみえぬ配慮が生長にとって如何に大切かに改めて気づかされます。

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 15:47
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