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小松城は「武」の城でなく「文化」の城
H27.3.16の本ブログで紹介したように、現在、小松城本丸櫓台石垣は立ち入り禁止になっています。この本丸櫓台石垣の早急の修理の実現に多くの方々のご支援を頂くためにも、この小松城についてより知っていただきたく、小松天満宮ホームページに「小松城に親しむ:小松城は文化の城」を掲載しましたので、ご覧ください。
 
author:bairinnet, category:小松城, 20:10
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小松城跡の現状を憂うる
小松城の取材の途中に当社に立ち寄った方より、小松城跡の遺構である本丸櫓台が安全性の理由から立ち入り禁止になっているとの知らせをうけた。早速いっていみると、本丸櫓台の周囲に柵がもうけられていて「文化財保護と落石防止のため立ち入らないように」との立て看板があった。

さらに、櫓台に上る階段の側にも「天守台の階段は危険ですから立ち入らないように」との看板が立てられていた。


 当社に参詣にこられる観光客には、利常公による小松城建設に携わった石工衆の残した古文書に記されている「石垣の角が鬼門に当たらないように築く」ということを実地に確認するために、この本丸櫓台に上って、小松城の鬼門鎮護の意味をももつ当社との位置関係を確認していく方々がおられる。次図は本丸櫓台からの光景であるが、黄色線内が当社の森であり、赤丸部分は櫓台の角であるから、明らかに鬼門を避けて建設されていることが判明する。



また、この櫓台上には次図に示すように、二等三角点表示が存在している。


石川県の一等三角点は加賀では白山、能登では宝達山であるが、二等三角点は天守台といった史跡上に置かれることが多い。本丸櫓台上の二等三角点は明治36年設置の古いものである。ちなみに金沢城跡には天守台跡が現存しないためか、二等三角点は置かれていない。
 さらにがっかりしたことには、次図に示すように、本丸櫓台の北側に現存する井戸跡の上蓋が破損したままになっていることである。


小松城と同じく、一国一城令の例外として認められた12の城のうちの一つである仙台藩白石城の大櫓(天守という言葉をはばかって大櫓といっている)の北側にも、小松城と同じ井戸が残されているが、白石城の井戸は次図に示すように立派に保存されている。

 


 現存する小松城の遺構である、本丸櫓台石垣は小松市指定文化財に指定されていて、現地には以下のような説明板がある。




ただ、本丸櫓台は石川県立小松高校敷地内にあり、敷地内にあったからこそ、これまで保護されてきたともいえるが、管轄が異なるためか、予算の手当がつかないためか、小松市の関係者にお聞きしたところ、修理の予定は聞いていないとのことである。金沢城の姉妹城ともいえる小松城の確かな遺構であり、現在、玉川図書館に保管されている小松城の絵図面には、本丸櫓台から宝達山が見える等の表示がされていることもある。当時の情景に思いをはせるに格好の場所でもある。この本丸櫓台石垣の早急の修理がなって、近年整備の進む金沢城に来られる観光客各位が小松の地にも足を運んで頂いて、この櫓台上からの眺望が楽しめる日がくることが望まれる。本ブログ読者各位のご支援をお願いする次第です。

 
author:bairinnet, category:小松城, 21:01
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名山の見える方位に意味があるか?
  ゴールデンウイークに開園するために現在、玉泉院丸は閉鎖中のため、前回の「小松城と小堀遠州」の続きをしてみます。天守櫓台から丑の方に宝達山が見え、裏式台から辰の方に白山見ゆ、と本丸御殿絵図には書き込みがありましたが、いくつかの疑問が生じてきます。1)この方位には何か意味があるのでしょうか?2)意味があるとしても、天守台や本丸御殿の建立時からそのように意味を踏まえて建物配置を決めたのでしょうか、それとも後年の付加か?なぜなら、この「小松城御本丸御殿之絵図」の作成年代として、「新修小松市史」では天明6年(1786)から文化6年(1809)のこととしているから、建立時の絵図面ではないからです。
 まず、1)についてです。方位を表すには、八方位(八卦にあわせる)、十二方位(十二支にあわせる)、二十四方位(羅径盤の正針に対応)など種々の方法がありますが、ここでは、辰の方と丑の方という具合に、二つとも十二支方位を使用しています。偶然とも考えられますが、一応、意図的に十二支方位を使用したとしてみましょう。宝達山は金山で有名です。天正12年(1584)頃に宝達山に金山が開かれたといわれます。一方、神仏習合時代の白山信仰では、白山三御山の主峰たる大御前の下方の剣山の麓にある翠池より九つの頭をもつ龍(九頭龍王、白山妙理権現の化身)が出現したといわれていました。これらと丑方位と辰方位とを江戸時代の識者には常識であったとおもわれる知識にあてはめてみて思い浮かびますのが、中国前漢時代に編纂された『淮南子』(えなんじ)天文訓で最初に論じられた「三合の理」です。
 これについては、吉野裕子氏が氏の全集において多くの箇所で説明していますが、下図は十二支方位と、丑方位にかかわる「金気の三合」(赤の実線)と辰方位にかかわる「水気の三合」(赤の点線)を示したものです。金気の三合とは、「巳で生じ、酉で旺(さか)ん、丑で墓となる」というもので、


丑は金気の墓で黄金の山である金山を示すとされます。水気の三合とは「申で生じ、子で旺ん、辰で墓となる」というもので、辰は「水のあつまる水庫」とも、「高いところに上った水が下に降って地上の万物をうるおす」という意味があるとされますので、水を呼ぶ龍にも、翠池にも関連するようです。この「三合の理」は、十二月の十二支についてよくいわれたものですが、建築の分野にも持ち込まれ、吉野氏は神宮の内宮と外宮の建物配置といったものにも応用して考察していますので、方位についても適用されるものとしてみます。確証がありませんが、これが江戸時代を通じて妥当するとすれば、意味がないとはいいいきれません。
 2)については,何ともいえません。作成年代がもう少し後になりますと、加賀藩においても西洋近代科学の受容が進行しますし、また、国学の興隆から、伝統的な東洋思想への関心はうすれていきます。絵図作成が当時の最先端科学者の仕事ということを考えますと、陰陽五行的背景を知っていたなら、意図的に付加することはしないと思います。ただ、この絵図面の書かれた時代が蘭学者の公職追放や朱子学以外の講義を禁止した「寛政の改革」(1787-1793)と同時代ないし近い時代であることと、辛酉革命をきらって改元が依然行われた時代背景を考えますと、以前より事実として知られていたことをそのまま書いたと考えるのが妥当でないでしょうか。
 それにしても思い出しますのは、当社が小松城本丸と金沢城本丸を結ぶ一直線上に立地しているのではないかと社務所にお知らせ頂いた黒岩重人氏を紹介していただいたのが、吉野裕子氏であったことです。もう二十五年以上前のことになります。

author:bairinnet, category:小松城, 17:05
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小松城と小堀遠州
 小松城と小松天満宮と我が国最古の庭園書である「作庭記」との関わりを説明した当社案内板を見たとあるケーブルTV局よりの依頼により、過日、小松城天守台にて「小松城と小堀遠州」についての案内をいたしました。よく知られているように、小堀遠州と加賀藩三代前田利常公とは茶道を通じる交遊関係がありました。茶道と露地(庭)とはつきものですから、庭園づくりについても指南をうけています。有名な逸話は、寛永11年の将軍家光上洛の折、利常公も上洛に供奉するために琵琶湖畔の大津屋敷に滞在しました。その折りのこととおもわれますが、茶室の露地として泉水を掘り、築山を築いて庭を造成しましたが、それを見た遠州より「大名の庭としては小さすぎる」と批評されました。それを聞いた利常公は、泉水を埋め、築山を壊して、かわりに、茶室から琵琶湖と比叡山と三上山といった近江の大風景が観覧しうるように作庭したところ、遠州から「これぞ大名の庭」とほめられたとのことです。「作庭記」の記す平安時代寝殿造りの庭づくりの主題は自然順応主義にあり、自然の好風景を庭ずくりや建築に生かすことです。寛永6年には、江戸城西の丸の大手門内に山里丸を築く大工事が行われましたが、その際、遠州は茶室から見越しに富士山がみえるように作庭して将軍に喜ばれています。
 ところで小松城と小堀遠州ですが、下図は、現在、金沢市立玉川図書館所蔵の「小松城御本丸御殿之絵図」より当日の案内用に、要点を書き取ったものです。

 小松城の天守台には三層の櫓が建立されていました。よく、「小松城の天守台には天守閣ではなくみすぼらしい櫓があるばかり」といってがっかりされる方がいますが、そうではありません。姫路城にしろ彦根城にしろ立派な天守閣を備える名城で現在残っているのは全てが大坂役前の「武」の時代に築かれたものばかりです。これに対して、小松城は「元和偃武」以後の、平和の時代に、一城一国制の例外として造営を認められた城であり、また文化人大名であった利常公の隠居城として造営されたのですから、三層の櫓は時代と城主を象徴するものといえます。
 上図の番号1のあたりには朱色で線がひかれて「御櫓より丑の方に当て能州(能登)宝達山見ゆる」と特記されています。また、本丸御殿裏式台のところにも朱色の線(上図の2番)がひかれ、「御式台より辰の方に当て白山」と書かれています。「新修小松市史資料編1(小松城)」には三層櫓の見取り図が掲載されていますが、三階の北側にも窓が開くようになっていますから、ここから宝達山が見えたのでしょう。宝達山は能登で一番高い山、白山は加賀で一番高い山ですから、これら自然の大山の景色を取り込むように天守台の櫓や本丸御殿を造営することは遠州流にも合致しています。
 小松城の「遣水」(水まわり)に「作庭記」の影響がよく見られますが、これについては当社境内内の案内看板に説明していますから、ここでは、石立てについて一例を紹介します。石を建てるには多くの禁忌が「作庭記」に記載されています。一つとして「庭上に家屋近くに三尺以上の石を立ててはならない」とあります。また、「東方に他の石よりも大きな石の白色のものを立ててはならぬ。。。他の方角にも、その方角を打ち負かす目立った色の石で、他の石よりも大きなのを立ててはならぬ」とあります。東の色は木気の青(緑)であり、白は金気の色ですから、金で木を切り倒すのように相剋の関係にあり好ましくありません。東ならば水気の黒色か、木気の青(緑)色を使用すれば相生の関係になって好ましいとされます。陰陽五行の調和で万物の円滑な循環が成り立つという思想が「作庭記」にも伺われる禁忌です。これに対応するのが、上図の3番の箇所です。本丸御殿の藩主の常在所である「御書院」の北側の庭上に「三尺五寸五分斗坪埜石高さ尺二寸余」と特記されています。すなわち、長さ三尺五寸五分の正方形の石で高さが一尺二寸の坪埜石製の石が置かれていることを示しています。坪埜石は現在の金沢市坪野で産出された坪野石のことで、色は黒色で、高さも三尺以下ですから禁忌にはふれていません。これ以外にも「作庭記」ゆかりの箇所・項目はありますが、本日はここまでにいたします。
 本ブログの「小松城項目」では、次回、「玉泉院丸」を訪れてみたいと思います。寛永11年の将軍上洛に供奉し終わった利常公は金沢城に帰城するやいなや、京都より連れ帰った遠州配下の剣左衛門ともども玉泉院丸の庭園造りを自ら指揮いたしました。丹羽長重造成の小松城の大規模改築開始の8年前のこの工事が注目される由縁です。
author:bairinnet, category:小松城, 09:09
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小松城と鬼門
 今年の春分の日(3月21日)はあいにく曇り空であったが、今日3月23日の午前6時20分頃には小雪降る中、東の空に太陽が顔を出したので早速、小松城の天守台に登ってみた。なぜ春分の日かといえば、この日には太陽が真東から昇るからである。ちなみに小松城天守台上部には、以下に示すように国土地理院の2等三角点が設置されており、2等三角点を記す石標には真北ー真南と真東−真西の印がついている(この写真では上方が真東の線をあらわしている。。

 ちなみに、この2等三角点の緯度経度を国土地理院の三角点情報表示で調べて、国立天文台の暦計算ソフトで計算してみると、春分の日の日の出は5時57分で日の出の方位は真北から89.4度と、小松城天守台からみるとほぼ真東から上がる。今日、3月23日の日の出は5時54分で日の出の方位は88.4度と真東からはやや北によっている。以下に示す写真は、6時43分頃の太陽であり、方位は真北より95.6度と太陽高度が高くなると共に真東よりやや南にずれている。

太陽の下方にみえるのは県立小松高校の体育館である。ちなみに、小松城天守台は小松高校の敷地内にある。明治維新後の小松城取り壊しの最中に、ここに2等三角点を設置すべく努力した先人と小松高校の敷地内にあるお陰で現在まで、天守台が保存されてきたといえる。
 さて、小松城と鬼門というタイトルであるが、「新修小松市史、資料編1」には、小松城築城にあたった穴生石工の後藤家文書「唯子一人傳」に記す鬼門を避ける文言が紹介されている。すなわち、「方角の見様郭の正中に磁石置き見ることなり。これは鬼門を見る為なり。石垣の角鬼門に向ひ候はば右か左江角よせ鬼門に向ひ申さずように心得べし、押事一向ならず命にたたり有るなり」。磁石を用いて鬼門(丑虎方位、磁北より45度プラスマイナス7.5度)を避けるように石垣の角をつくれ、とある。
以下の写真中の赤丸部分は小松城の鬼門鎮めとして建立されたといわれる小松天満宮の森を示しており、黄色丸部分は天守台の石垣の角である。天守台2等三角点からみた小松天満宮の社殿の方位角は真北より48ないし49度に位置している。鬼門方角にあることを確かめるには、小松城と小松天満宮の創建当時の偏角(真北と磁北との差異)の値を知らねばならない。詳細な議論は略して、およそ、小松天満宮創建年(1657)当時の偏角は東偏5度から8度とみられるから、天守台からみた小松天満宮社殿の方位は磁北から40度から44度となるので、鬼門方角にある。黄色丸でしめした石垣の角は真北より60−70度であるから、古文書に示すように鬼門を避けるように建立されていることがわかる。

author:bairinnet, category:小松城, 08:46
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