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小松基地の騒音評価式 W値からLdenへ(下)
 
新しい騒音評価式をどのように計算するかですが、その為に、以下の図4をみて下さい。


   



図4の右の方には実際の騒音レベル(デシベルで測定)を測定したものですが、ピーク騒音値が 暗騒音+10db 以上の騒音が新たな騒音評価式の対象となります。暗騒音とは、対象とする航空機騒音(小松飛行場の場合は、自衛隊機による航空機騒音)がないときのバックグラウンド騒音値のことです。暗騒音より10db以上の騒音については、暗騒音の影響がないとされているためです。ピーク騒音値が暗騒音+10db以上であって、暗騒音+10dbの騒音値を超える騒音(これを評価対象騒音と略称)の持続時間が t1からt2時点の間であったことを図4の右側のグラフは示しています。このデータより、t1からt2の時間内に発生する評価対象騒音のエネルギー量を足し合わせて、このエネルギー量が1秒間で発生したとしたときの騒音レベルを計算したものが、図4の左のグラフで示した 「単発騒音暴露レベル」(LAE、デジベル単位)とよばれるものです。
 この LAE を1日の全ての飛行回数について計算して、各LAEを音のエネルギー量に換算して足し合わせてから、1日の総時間(秒単位)=24x60x60=86400秒 で割返して求めたものが その日の Lden 値になります。 
 今、例示として 自衛隊機の飛行回数の少ないとある日曜日に4機飛来(着陸時)したとして、飛来した時間とその測定値が以下のようであったとしてみます。

  時間    ピーク騒音 暗騒音    LAE(デシベル)  継続時間(t1-t2、秒)
14時     73   44   84.9       44

19時10分  79   58   88、4       24
19時20分  73   57   82,8       20
19時30分  72   54   84、6       32

いずれも 暗騒音+10db 以上のピーク騒音(db)になっていますから、Lden の対象騒音です。騒音の発生した時間帯ごとにLAE を音の騒音エネルギーに変換します。
 ステップ1) 時間帯が午前7時から19時までの間に発生したLAE騒音値を
                    10**(LAE/10) 
       として騒音エネルギーに変換して足し合わせます。ここで {**}はべき乗の記号です。上例ではこの時間帯の騒音はありません。
 
 ステップ2) 時間帯が19時から22時までの間に発生したLAE
騒音値を

                    10**((LAE+5)/10) 
       として騒音エネルギーに変換して足し合わせます。上例では各々
                 9.772x10**8
                 2.1877x10**9
                 6.0255x10**8
                 9.120x10**8
       となり、合計値は 4.6795x10**9 となります。

ステップ3) 時間帯が22時から翌朝7時までの間に発生したLAE騒音値を
                    10**((LAE+10)/10) 
       として騒音エネルギーに変換して足し合わせます。上例では
              この時間帯の騒音はありません。

ステップ4)ステップ1から3までの合計を1日の時間(86400秒)にて割返します。
            上例では、   54161,681 と計算されます。


ステップ5) この観測日の
                          Lden =10xLog(ステップ4の値)
                                = 47.3 (db)
              ちなみに この日の
                          W値 = 58,2
       と計算され、非常に低い値です。
    
 平成19年12月の環境基準では

   もっぱら住居の用に供される地域の基準値 Lden 57db以下        
    通常の生活を保全する必要がある地域の基準値 Lden 62db以下
となっています。
 
 この例からもわかりますように、新たな騒音評価式では、現行のように異質な二つの項(音の平均エネルギー量を感覚量に変換した項、と 発着回数の加重和)を足し合わせて評価するものよりは、より理解しやすいものになっていますし、この算式では、前述のような逆転現象は回避できます。
  ちなみに小松飛行場の騒音コンターとLdenの値との対応は以下のようになっています。
 
     W値 75W以上  は  Lden 62db以上
        80W以上  は       66db以上
        85W以上  は  Lden  70db以上
        90W以上  は  Lden  73db以上
 
 ところで W値に比べてLdenの利点は逆転現象解消以外になんでしょうか。小松飛行場からの離陸する自衛隊機を観測していればよくわかりますが、通常は 数機(3機)が連続して離陸してきますから、騒音レベルが次第に強くなりピークに達してから落ちていき、しばらくすると次の騒音がくるよういうように,連続的に騒音エネルギーに暴露されますが、こうした状態の評価には、Lden値の方がより騒音感覚量に対応していますから、騒音の程度のひどい地域の騒音をより正確に評価しうる評価式といえます。
 
 小松飛行場の立地する小松市では毎年「基地と小松」という図書を発行し、市立図書館でも閲覧可能ですが、この中に、昭和60年から最近年までのおよそ30年間にわたる各地の騒音水準(W値)を公表しています。これをみると、この30年間でほとんどの測定点の騒音値は減少していますが、20数カ所の測定点の中で、私共の町内に最も近い測定点の騒音値は減少していません。
 
  少子化および地方創成の観点からも子育てのしやすい、雇用基盤の充実した街作りの重要性がさけばれていますが、是非とも、飛行場周辺の地域の騒音の低下にむけて、離陸方法の改善や離陸時の操縦技術の向上や機材の改良に鋭意取り組んでいくことが望まれます。
 
      
 
 
author:bairinnet, category:地域振興, 23:28
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小松基地の騒音評価式 W値からLdenへ(中)
飛行機は非常に便利なものであり地域間交流には不可欠な交通手段ですが、他方、飛行経路下および周辺には騒音をもたらします。前述のブログで紹介しましたが、これまでの騒音評価式は WECPNL(W値)という指標を使用するものでした。この式は、個々のピーク騒音値を音のエネルギーに換算したものの総和を、音の発生回数で割り返して得られる「音の平均エネルギー量」を感覚量に変換した項と「騒音発生回数の加重和」を足したものです。

    WECPNL
 = dB(A) + 10・log(N) ー 27 
ここで
        N = N2 + 3・N3 + 10・(N1 + N4)

ところがこの方式では、従来よりも飛行機の発着回数が増えるとW値の値が減少するということが航空機騒音を調査していたNPOの方々から指摘されるようになりました。例示してみます:

 
ケース1) 日中75機、夕方18機、深夜・早朝7機の100機が発着し、
音の平均エネルギー量を感覚量に変換した項の値が 80dB
 であったとしてみます。
  この時の WECPNL
 = 76 と計算されます。
ケース2)ケース1よりも飛行機の発着回数が増加して、新たに 日中91機、夕方9機の100
機増えたとしてみます。100機増加したけれども、音の平均エネルギー量を感覚量に変換した項の値は 70dB に減少したとしてみます。
  この時の WECPNL = 75.41 と減少してしまいます。
WECPNLは、ピーク騒音レベルと時間帯別発着回数の関数ですから、新規参入の飛行機が日中に多く飛行したり、ピーク騒音値が既存のよりも低くなっている場合などでは、こうしたことが起こりうるのです。


   新たに100機分 飛行回数が増加したのにもかかわらず騒音評価値が減少してしまうことがおこるのです。これでは、現行の航空機騒音基準内であるとして、さらに飛行回数を増やしたりすることも可能となるだけでなく、国民の常識的感覚とも合致しません。
 それゆえ、こうした不合理をなくすために、国の中央環境審議会では、各国で採用されている騒音評価式の調査や各種騒音評価式の比較検討を行って、新たな航空機騒音評価式として Lden
(時間帯等価騒音レベル)を採用しました。これまでのWECPNL
は騒音値と加重発着回数の足し算という変則的なものでしたが、新たな算式は騒音値をより反映したものになっています。次回は、このLden
がどういう指標であり、これまでのW値に比較しての騒音評価式としての優位さを見てみることにします。

 
 
 
author:bairinnet, category:地域振興, 23:24
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小松基地の騒音評価式 W値からLdenへ(上)
私どもの古里小松には我が国の防空を担当する小松基地と共に民間飛行場の小松空港があります。
図1は、小松飛行場周辺騒音区域として指定されている地域の概略図ですが、主として昭和59年までに指定されている地域の概略図です。小松飛行場に隣接する区域は第二種及び第三種区域であり、その周囲の斜線で囲った区域が第一種区域です。この区域割(騒音コンターの作成)に使用されるのがWECPNL(うるささ指数とよばれ、W値と略称)という騒音評価式です。第3種区域とはW値95以上、第2種区域とはW値90以上、第1種区域の中はさらに3分割されて、W値75以上区域とW値80以上区域、W値85以上区域に分かれています。ちなみに当社の立地する天神町は図中の緑丸で表示される地点ですが、第一種区域のw値80以上と85以上の二つの区域に町内が分断されています。
 
 
 
飛行機の場合は揚力のために風向きに向かって上昇しますから、小松飛行場の東北方向に位置する当社周辺には、北風から東風の時に飛行機が飛来します。図2は、航空ショーの練習にて飛来した8機編隊飛行が小松基地を飛び立って町内上空を通過していく様子です。
 
 
 
このような8機編隊飛行は航空ショウの前に練習としてありますが、通常は、1機づつ3機程度連続して離陸するか、2機編隊にて離陸していきます。とある日、ほとんど風のない日の午後1時台に14機離陸していきましたが、その内の6機は4分間に2機づつ3回編隊飛行で離陸していきました。図3は2機編隊で離陸して当社上空を上昇中の画像です。
 
 
 
 
 さて、現在の騒音コンター指定に使用されている騒音の評価式である「WECPNL」(加重等価連続知覚騒音レベル)(W値)の理解には、精神物理学(知覚心理学)や統計学の知識を使用して説明されますので、ここで紹介してみます。
 音のうるささは人間の五感のうち聴覚にかかわりますが、19
世紀のドイツの生理学者であるE. Weber と彼の弟子であった物理学者のG.Fechner は、五感による人間の知覚に関して「人間の感覚量は物理的な刺激強度の対数に比例する」という法則を発見しました。音の場合、音の物理的な大きさはパスカル (Pa)で表示されますが、一パスカルとは、一平方メートルにつき一ニュートン(N)の力が作用する圧力のことをいいます。人間の知覚する音の感覚の強さを示すにはデシベル(dB)単位を使用します。ただし、人間の耳の聴くことの出来る最小音は20マイクロ・パスカル(V)といわれていますから、これとの相対値の二乗の対数値として、以下の式にてpパスカルの音刺激に対する感覚騒音レベル L(感覚量としての音の大きさ)を定義します:
   L=10・log(p・p/V・V) dB = 20 log(p/V) dB
ここで、対数は10を底とした常用対数を使用します。このdB値は騒音計にて計測しますが、WECPNLで使用するのは、ピーク騒音値です。上図のような航空機の場合は、徐々に騒音値が高まってきて観測点の上空にきたときにピークになり、それから徐徐に減衰していきますから、ピーク値は比較的求めやすいものです。
 さて、1日のうちでは、ピーク騒音値の値もばらつきますし、多くの騒音値が得られます。また、同じ騒音値でも寝静まっている深夜や早朝の場合はよりうるさく感じるものです。これらを考慮して、これまでの我が国の騒音の環境基準では以下の式にて WECPNL を定義しています:
 WECPNL = dB(A) + 10・log(N) ー 27 
ここで
   N= N2 + 3・N3 + 10・(N1 + N4)
、N1とは午前0時から6時59分までの騒音発生回数、N2は午前7時から午後6時59分までの発生回数、N3は午後7時から午後9時59分までの発生回数、N4は午後10時から午後11時59分までの発生回数となりますから、深夜と早朝の騒音発生回数は大きく評価されるようになっています。また、dB(A) とは、個別のピーク騒音値を対数変換される前の騒音エネルギー量に戻してから足しあわして平均化した「音のエネルギーの平均値」をだし、それを対数変換して感覚量に直したものです。式で表示すると
  dB(A) = 10・log ( (∑( 10**(第i番目のピーク騒音値) ) /n ) 
となりますが、n は騒音発生回数のことです。
 
今例として、毎日のWECPNL値を計算して29日分として29個のデータが得られたとします。この時に、この29個のデータを小さいもの大きい順番に並べ替えてみたときに以下のようになったとします:

 48.6  59.7  68.2  69.4  69.5  71.7  72.3  72.9  72.9  73.6  75.5  77  77.2  77.4  78  79.6      80.4  80.8  81.2  82    82.4   82.7  83.2  83.4  83.6  84.1  84.4  85.3  85.7 

順位1番から29番目までを100%までに均等に並べたときの90%のところのWECPNL値のことを、この値の観測された地点のW値といい、この場合は、84.1 と求められます。もちろん、法的な意味でのW値は長期間にわたる観測値から求められますので、もっと沢山のデータが必要になりますが、原理的にはこのような算定式になっています。
 以上の算定式のうち、Weber-Fechner
法則については脳科学との関わりが知られているようです。すなわち、音波が鼓膜に達してから知覚されるまでには、途中の神経回路において神経細胞の発火によって伝達されねばなりませんが、到達する音波を対数変換なしに伝えていたのでは膨大な数の神経細胞が必要になり、情報伝達のコストを節約するためにも対数変換して伝達しているのではないかといわれています。生体系にもコスト計算の視点があることは興味深いことです。

 

 
author:bairinnet, category:地域振興, 23:22
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フーコーの振り子がサイエンスヒルズこまつに設置されました
 2011年2月17日公開の当ブログにて、当時建設中の「コマツ記念館」にフーコーの振り子を設置してはどうかとの提案を行いました。コマツ製作所創業の地に設立された記念館には設置されませんでしたが、隣接地に建設された「サイエンスヒルズこまつ」(こまつ科学館)の入口ロビーに設置されました。

入口から入ってすぐの左側にありますし、振り子を吊り下げている天井の起点も下から見ることが出来ます。
国立博物館展示の振り子の起点は隠れていました(当ブログの2012年5月4日で紹介)ので、こちらの方が地球の自転の様子をより理解出来ると思います。振り子が動くのは慣性と重力の力によってです。動いているのが動き続け、静止している物体が静止しつづけるのは慣性によります。振り子が行きつ戻りつするのは重力の力によります。また、空気抵抗により振り子はより短い円弧になるように、実際には、まっすぐな円弧をとるように動きます。これらが相まって、振り子は行きつ戻りつし続けるのです。
 ここで、上の画像にしめす円盤状の模型は建物に固定され、この建物および建物が固着している地球自体は、地球の自転にともない、フラフープが縦軸のまわりで回転するように回転しています。ところが、一点から吊り下げられている振り子は地球やそれに固着している円盤状の模型が回転しても回転しません。それゆえ、地球の自転と共に振り子は円盤状の模型上におかれた人形を時間の経過と共に倒しながら一周していくのです。
 ちなみに、北極点では正確に24時間で一回転しますが、それ以外の緯度では フーコーの発見した算定式 24時間/sin(緯度) で一周する時間が計算できます。北極点は北緯90度ですから、算定式より24時間で一周します。かたや赤道の緯度は0度ですから、一周する時間は無限大、いいかえれば振り子は回転しているようには見えず、円盤状の模型の同じ場所を行きつ戻りつするだけです。小松の緯度はおよそ北緯36.4度ですから、約40時間強にて一周します。こまつ科学館の展示では、開館前に人形をたてて、9時から時間のたつごとに人形が倒れていく様で地球の自転の様子がわかるようになっています。北半球では時計回りに自転します。これを見学したのはお昼前でしたので、上の画像からも時計回りに人形が倒れている様子がわかると思います。ところで、空気抵抗により振り子は永久には行きつ戻りつせず、振り子の長さによりますが、ついには動かなくなります。それゆえ、振り子が永久に動くような仕掛けが考えられています。たとえば、振り子の吊り下げられている天井の支点付近に円形の電磁石を設置して振り子をつる金属線が光ビームをさえぎるたびに磁石をonーoffして、永久に動くような仕掛けがあります。こまつ科学館での仕掛けがどのようになっているかは、今回の訪問では確認しわすれました。
 Wikipediaではフーコーの振り子の見れる全国の場所が記載されていますが、北陸地方では 新潟県立自然科学館、富山県立高岡高校だけとなっています。ただし、福井県児童科学館の紹介画像ではエンゼルランドふくい内にフーコーの振り子らしい装置がみれます。北陸地方で3ないし4番目の施設となります。なお、こまつ科学館の全面開館は3月22日ですが、現在はプレオープンということでロビー付近のみが見学できます。ちなみに小松駅東口近くの駐車場は1時間あたり100円です。科学に親しむ心を涵養するには最適の展示物の一つですので、ぜひ多くの方々に見学をおすすめしますし、図書館などで市井の科学愛好家のフランス人のフーコーが如何にしてこの装置を発見したかの書物をよまれることをおすすめします。



 
author:bairinnet, category:地域振興, 12:39
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弱点を生かす:大聖寺川舟行に参加して学ぶこと
 当社において毎年漢詩奉納祭を斎行しています郷土の漢詩作詩団体「小松梅林吟社」の吟行小旅行が桜の季節の4月10日に開催されました。行き先は、加賀市大聖寺川の舟遊びです。定員8名ほどの屋形船にのる30分ほどの舟行です。船着き場から見た大聖寺川上流の景色です。

この大聖寺川は、上流は山中温泉から、下流は福井県境の塩屋港で日本海につながりますが、大聖寺の街中を通る堤防がそれほど高くなく、そのため、かっては水害に悩まされたとのことです。そのため大聖寺川の流路の付け替えと上流でのダム建設のため、水害の危険は去り、大聖寺川の旧水路で舟行が行われています。ご覧のように、流路が蛇行していて、満開の桜が水面にうつり、絶景の船着き場です。出発してしばらくゆくと、右手に桜並木、左手に大聖寺藩祖と天神様をお祀りする江沼神社の立派な鎮守の森が見えてきます。これは実に好対照の風景です。



もう少し進むと、石垣の上に築かれた国指定重要文化財の「長流亭」が見えてきます。


大聖寺藩主の休息所として建立されたとのことですが、維新後 放置されていたのを、文化人の北大路魯山人によりその価値を指摘されたことに触発された地元の人々の支援もあり、国指定文化財として保護整備がはかられてきたとのことです。舟行後は事前予約をしていた長流亭見学会にて桃山文化の薫りをつたえる亭内建築様式や造作や歴史について宮司さんより懇切な説明をいただきました。この写真にみえる石垣は、水害より保護するために文化財事業としてより高く石垣が積み増されたとのことです。現在では不要となった事業でしたが、周囲の高木林と調和したよい風情になっています。また、長流亭の対岸の街道は、隣藩が徳川家親藩の福井藩だったこともあり、幕府隠密等の不審者の通行を監視するために建物等の遮蔽物のない空地がつづいていたそうです。それを戦後になって桜並木に造成して現在にいたっているとの説明もいただきました。船頭さんの舟歌披露といい、地域の弱点や歴史を生かした大変よい地域おこし観光になっているとの感想をもちました。

author:bairinnet, category:地域振興, 08:08
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芭蕉もほめた小松うどんと地産地消
小松周辺には芭蕉ゆかりの句碑や史跡が多く、全国から芭蕉愛好家が数多く訪れますが、当社にも全国から参詣していただいています。当社にこられる理由の一つは、当社初代宮司の能順は近世最後の連歌名人といわれる方であり、当社創建にあたり利常公より北野天満宮より招かれた方です。能順は晩年まで当社と北野天満宮を兼務し、小松と京都をほぼ隔年ごとに往復していましたが、この元禄二年には当社に滞在中でした。もう一つの理由は小松の俳人塵生が、山中温泉滞在中の芭蕉におくった手紙への返書にあります。この返書は、元禄二年(1689)八月二日付のものです。この中で芭蕉は大要次ぎのように書いています:
 「急ぎの書状にて珍しき乾うどん二箱お贈り下さりお礼申し上げます。小松滞在中の句会では貴方様と親しく御同席でき珍重に存じます。この山中温泉にいそぎ旅だったものですから、お暇請いも申さず残念に存じております。就きまして、天神奉納発句の義は承知いたしました。異存はございません。入湯を終えますればそこ元へお立ち寄りもうしますので、天神奉納発句のことはその折りのことにいたしましょう。」(今栄蔵著「芭蕉書簡大成」を参照)
 塵生から天神奉納発句を求める書状とともに届けられた乾うどんへのお礼と共に、天神奉納発句のために再度小松に戻ることが芭蕉の返書には記されています。この天神奉納発句とは当社への奉納発句とされていることもあり、芭蕉ゆかりの地として当社にも参詣にこられるのです。また、芭蕉もほめた乾うどんですが、去る六月五日開催の小松神社例祭・小松商工祭にも乾うどん二箱の奉納がございました。下図がその画像です。



 ここに亀屋徳右衛門伝承と書かれています。加賀藩からの乾うどんを送るようにと命じられた長瀬善右衛門の元禄七年九月十八日付の返書が「小松市史料編上巻」に翻刻されています。藩からの求めに対して、長瀬善右衛門は八日市町の亀屋徳右衛門に製造を依頼しましたが、最初に出来た物は満足いくものでなかったため、麦粉ならびに道具を改め、また、小麦粉を洗った際の一番粉は除く、温麺の場合は「踏む」が乾麺の場合は「踏まない」など、製法も吟味して、藩におさめたことが記されています。現在の乾麺に記された「亀屋徳右衛門伝承」とは、この元禄七年の際に決められた乾麺の製法に準じて製造されているという意味です。ここで「踏む」については説明を要します。小麦粉を水洗いした後で手でこねますが、「踏む」とは手でこねて丸めて団子状にしたものを布でくるんで足で踏むことをいいます。乾麺の場合はこの「踏む」工程をとらないで、全て「てこね」で製造するということのようです。 
 ところで当社宮司が兼務するお社からなる小松天満宮十五社会の一つ、大島町鎮座の白山神社の御社殿改築五十周年慶賀祭後の直会にて総代さんより、大島町の農業法人「明峰ファーム」で生産した小麦が小松うどんの麺粉として供給されていることを教えていただきました。下図は小麦畑の様子です。


およそ三町五反の広さの田んぼに小麦が育成されています。お米の場合は一反あたり約六十キロの収量ですが、小麦では約四十キロとのことですから、ここから約十二。五トンの小麦がとれるようです。近寄ってみたときの小麦の生育状況が下図です。
まだ青い穂先ですから、これが黄金色に変わった頃に刈り取りとなります。
小松を訪れる観光客に楽しんでいただいている小松うどんと贈答品として珍重されている小松の乾麺をささえる地元農家の小麦生産への取り組みは地産地消の典型例といえます。



author:bairinnet, category:地域振興, 08:45
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撫牛像と芭蕉の故地を訪ねて
  本題にはいる前に本日のエピソード。観光バスの一行がこられたのでお聞きすると、関東から芭蕉のツアーで小松市内の故地を訪ねてきたとのことでした。帰りぎわに、「乾しうどんはどこで求められますか?」と尋ねられましたが、「乾しうどん」を購入出来る店にバスが立ち寄れるかどうかは社務所では不明のため、「その旨、バスガイドさんにお申し出下さい」とお答えしました。その折り、「汐越の松はいかれますか?」とお聞きすると、「今日はゴルフの大会があって駄目でした」とのことでした。後述しますように、「汐越の松」は現在は名門ゴルフコース内にあります。 
 さて本題です。地域振興のキーワードの一つは地域間交流です。当社初代宮司能順は連歌を通じて、芭蕉は俳諧を通じて地域間交流に貢献した人でした(能順と芭蕉については当社HPをご覧下さい(http://www.bairin.net/JapaneseHP/Japan-top-page/japanese_main.html)。元禄二年8月6日に、天神奉納発句のため当社を訪れた芭蕉は、その後、大聖寺をへて8月10日に汐越しの松を訪れています。かたや、撫牛像は北前船というこれまた地域間交易に活躍した船の船主の方よりの奉納ですが、奉納者は越前浜坂浦の方でした。この汐越の松と浜坂浦とは近くにあるため、かねて訪問したいと思っていましたがそれが過日かないましたので、今回はそのお話です。
 芭蕉の『奥の細道』には「越前の境、吉崎の入江を舟に棹さして、汐越の松を尋ぬ。」とあり、高橋利一(1714-1783)の『奥の細道菅菰抄』には、「吉崎の西は入江にて。。。此の入江を西へ渡りて浜坂村にいたる。汐越村を越えて高き丘あり、上平らかにして広く、古松多し。」とあります。ここにいう「吉崎」とは、蓮如上人が布教活動の拠点とした吉崎御坊跡がある地名であり、御坊跡一帯は「御山」とよばれ、現在、その場所には高村光雲作の銅像が建っています。

 
先述の『奥の細道菅菰抄』にいう「汐越村を越えて高き丘あり、上平らかにして広く」という場所は、現在は、芦原ゴルフクラブの38ホールコースになっています。湖コース18ホールと海コース18ホールからなっていますが、汐越の松遺跡は、海コースのアウト9番の海側にあります。ここにゆくには、クラブハウスにて記帳して、社員の方に案内してもらっての見学になり、ゴルフクラブの方のお世話になりますので、本日当社にこられた観光バス一行各位のように、ゴルフクラブにおいて大会等行事のあるときには見学不可となります。下図がその遺跡の模様です。芭蕉が訪れた時にはさぞや大きな松であったことをうかがわせる遺跡です。訪問される観光客の方より、この遺跡を永久保存展示出来るようにしてほしいとの要望が寄せられていますが、経費が高額になりクラブ独自ではなかなか困難とのことでした。

 さて、このクラブハウスのロビーにかざられていたゴルフ場周辺の航空写真の写真をとらせてもらいました。以下の図はこれに関係する地名等を挿入してみたものです。

黄色の楕円形で囲んだ地域が「御山」で、高度成長時代の埋め立ての嵐からも生き延びた「北潟湖」が図の「御山」の前面から上方にかけて広がっています。北潟湖の水は大聖寺川の河口につながって日本海に流れます。『芦原町史』によれば、慶応3年より慶応4年末にかけて福井藩により、吉崎と浜坂の渡し場のあった場所に一直線の大堰をつくり、吉崎寄りに汐留水門をもうけ、浜坂よりに舟の航行の可能な非常水門を作って水流を調節した、とあります。この一直線の大堰が現在の「開田橋」になっています。これにもとづき、芭蕉の行路を赤色の点線で推定してみましたが、吉崎からこの渡し船にのって対岸の浜坂村にわたり、汐越村(現在のゴルフ場内)をとおって汐越の松を訪ねたと思われます。
 
  浜坂浦とは、『芦原町史』によれば、「大聖寺川の河口をさかのぼると天然の良湾といえる浜坂浦・吉崎浦がある。ここは江戸時代に日本海を雄飛した弁才船(べざいぶね、外海を航行する大型船)の一拠点として栄え、三国・敦賀・橋立(加賀)等とならんで松前貿易の船主・船員を多く輩出し、幕末には戸数三百戸を越える繁栄ぶりであった」。当社の撫牛像は慶応元年奉納ですから、まさしく繁栄していた頃の浜坂浦の城谷氏からの奉納であることがわかりました。浜坂浦の場所については諸説あるようですが、上図では現在の浜坂漁港あたりと推定して赤色の楕円で示しています。繁栄をほこった浜坂浦でしたが、明治21年の明治政府による日本型大船建造禁止とその後の北陸線開通により衰退していくことになります。
   現在の浜坂浦には、弁才船が三艘ないし六艘も所属していたという当時の面影は見当たりませんが、当社の撫牛像は頭をややもたげて参詣者を迎えると共に、日本海航路はなやかなりし頃の歴史を現代に伝えています。
 今回の旅のおわりに、案内していただいたお礼もかねてクラブハウスにてのどをうるおしました(芭蕉を訪ねてきたといえば、一見さんでも食堂は使用可です)。本ブログのための参考資料をご紹介いただきましたあわら市教育委員会文化学習課埋蔵文化財センターにお礼申し上げます。


 
 
 
 
   
author:bairinnet, category:地域振興, 06:30
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コマツ記念館を訪問し、過酷環境下で稼働しうる建設ロボットの開発を望む
 今月13日に開館した記念館「わくわくコマツ館」を見学しました。JR小松駅東口を出てすぐ左側からコマツ製作所の敷地内に緑地「げんき里山」と記念館が設置され世界最大級の超大型ダンプトラックも展示されています。ただ、専用の駐車場はありませんから、小松駅東口の市営駐車場等に駐車して下さい。「わくわくコマツ館」の全景を次に示します。


この記念館の建物は、東京溜池に本社が移転するまでは、この小松市にあった本社の事務棟を復元したものです。写真の左側に写っているのは、社員の研修や会議に使用する「コマツウエイ総合研修センタ」の大きな建物ですが、一般開放エリア外になります。記念館の入口をはいるとコマツの主力建設機械の創業以前からの発展の歴史を簡潔にしめしたパネル展示が迎えてくれます。内部には、ブルトーザーなどに使用されている油圧装置の基本原理を示す「パスカルの原理」を体験する模型などが設置されていますが、今年2月17日の本ブログで提案した「フーコーの振り子」は残念ながらありませんでしたが、設置するにはこの記念館では狭すぎるようです。
 野外には世界最大級のコマツ電気駆動式ダンプトラック「930E]が展示されています。下がその写真です。複雑な鉱山の地形の中での過酷な作業、落石や転落などの大きな危険から運転手さんを

守るために無人で操縦されている鉱山もあるそうです。体重497トンで、積載量297トン(アフリカ象なら50頭、小学生なら7400人)で時速毎時64.5キロの優れものです。おそらく休日でしょうが、子供達への体験試乗会も開催されているようです。この巨大なダンプトラックや水中ブルドーザーを開発したコマツには、2月23日の本ブログで提案した三代理念を生かして、福島第一原子力発電所といった過酷な環境下で仕事をしうるロボットの開発を是非ともお願いしたい。そうした状況は生起しないとの想定のもとではこうしたロボットの必要性はなく、音楽をかなでたりする感性に訴えるロボットの開発ばかりが優先されてきたようですが、やはり、世界企業たるコマツには、人間の入っていけないないしは長時間人間の滞在出来ない過酷環境として、放射性物質で充満した環境をもとらえていただき、こうした過酷環境下で着実に建設作業をこなしうる無人操縦型ロボットを是非とも国産開発してもらいたい、と多くの国民が望んでいるのではないでしょうか。
 4月20日には、米国iRobot社の開発したロボットPackBotsが福島第一原子力発電所内に導入され、原子炉内部の放射線レベルを測定したり内部の撮影をしているといいます。このiRobot社はマサチュセッツ工科大学のR. Brooks教授および研究室の人々によって設立され、2010年の売上高は4億ドル、雇用者数600人の大企業おに成長しています。放射線にも損害をうけない電子機器(マイクロチップやセンサー)を備え、また、規制により軍事用ロボットの輸出の認められていない日本と異なり、海外の戦場等で実験的使用が可能な米国だからこうしたロボットが開発出来るのかもしれません。
 こうした開発環境の困難さと共に、ロボットを開発しても我が国ではもうかるとは思いません。我が国においてこうしたロボットを開発することは、「無用の用」の最たるものとして開発するとの覚悟でないと開発しきれませんが、そうした実力のある企業がその覚悟で準備していただければ、非常時に国際貢献出来るとともに、世界の尊敬を得て社格を大いに上げると思います。
 帰りには駅前の湯野さんにておいしいおはぎ(ともかく、小松の町中にはおはぎを売るお店が多い)を買いましたが、おかみさんももとあったコマツ本社の事務棟をなつかしがっていました。

author:bairinnet, category:地域振興, 14:48
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コマツ記念館の三大理念について考える
 小松工場跡地に計画されている記念館は金沢21c美術館とは異なり私企業がコマツ発祥の地の振興にも貢献しうるように計画してされているものであるから、コマツ(株式会社小松製作所)の業態にも関係しつつ、地球規模での今後の科学振興にも貢献しうるものが望ましい。それゆえ、三大理念として以下を提言してみたい:
  1)モノ作りの科学
  2)情報に関する科学
  3)生体系や社会系といった複雑系に関する科学
の3つである。1)には2月17日の当ブログで提案した「フーコーの振り子」といった自然科学の基礎原理に関するものから、産業としてのモノ作りに欠かせない「ばらつきの管理」としての品質管理に関するものが含まれるであろう。コマツの建設機械が世界中で利用されているが、そうした世界中で利用されている稼働状態が集約的に把握され、よりよいモノ作りや顧客サービスに利用されているという。いわゆる現代社会と今後の科学技術にとって情報科学のはたす役割は重要であり、1)のモノ作りを身体とすれば、2)の情報系は「神経」にあたる科学分野である。コマツの主力商品は建設機械であるから、どうしても「剛構造、ハード」のイメージが強い、これと正反対なのが「柔構造」の生体系や社会系」であり、系の内容が機械設備のようにはっきりわかっている、設計図がかける「ホワイトボックス」ではなく、各部位(各部分系)の機能についても独立に把握しうるよりもお互いに相互作用しつつ機能発揮しているという意味で「ブラックボックス」の部分が多い。それでも、特に、生体系は外的環境の変化に適応しうる能力を進化の過程で獲得してきている。この意味で3)の中でも生体系の主要な情報処理機能を司る神経系の役割は、2)の情報に関する科学と関係が深い。身体系や精神系が恒常性を保持するためには、種々の外乱に適切に対応しうる神経系がなければならない。
 現代の、それから今後の社会の主要科学理論を三つあげれば、以上の3つになると思い、また、コマツの主力商品とは正反対のイメージをもつ科学分野3)は、コマツにとっても挑戦的な分野であることもふまえて提言してみるものである。画像を載せにくい、堅いテーマで恐縮ですが、計画されている記念館が是非とも魅力的なものになってもらいたい、この観点からは、こうした大まかな方向づけの議論も必要ではないかと思います。
author:bairinnet, category:地域振興, 18:28
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コマツ記念館にフーコーの振り子を
 最近の地元紙によれば、コマツが小松工場跡地に計画している記念館が科学教育に資するものになるとのうれしいニュースが掲載されていた。コマツといえば世界的な産業機械メーカーであるが、産業機械といった特定分野でなく広く科学教育に資する記念館を計画していることは、金沢の21C美術館に対して小松の科学館といういい意味での補完的施設にもなるので是非とも魅力的な記念館にしていただきたい。そこで提案ですが、ロビーの展示品に「フーコーの振り子」はどうであろうか?上野の国立科学博物館にあることは確かですが、裏日本ないし近隣県にあればこの提案はボツであるが、科学史にはたした役割(地球が自転していることを証明)として大であるだけでなく、特殊相対性理論やコリオリ力との関わりといった現代の自然科学現象理解に不可欠の理論展開に関わりを持つ視覚的な展示品になる。1851年2月2日フランス人のレオン・フーコーは、「地球が自転するのを見たい方は、パリ天文台にこられたし」との手紙をパリ在住の科学者に送り、実演を行ったことの詳細は、「フーコーの振り子」と題した翻訳書に詳しいし、その再現模様はインターネット上(You Tube で「Foucault Pendulum」)でも見れるので関心ある方は是非ご覧いただきたい。
author:bairinnet, category:地域振興, 17:00
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