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文化財保護法の改正と千代神社
 もう随分前のこととなりますが、昭和50年代に当時の宮司より「国の重要文化財に指定されている神社で移転したところがあるかどうか調査するように」との指示が社務所になされたことがありました。この背景には、昭和50年の文化財保護法の改正により、文化財の定義が整備されて、第二条第一項において、有形文化財とは
 
 建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む)。。。。
と定義され、特に、括弧内の文章が挿入されて、文化財が保存継承されてきている場所が重視されるようになってきたことがありました。 
 宮司の指示をうけて文化庁などにも問い合わせて調査したところ、唯一、滋賀県彦根市にある千代神社さんを紹介されたことがあります。当時は電話などで経緯をお教え頂いたのですが、このたび、お参りさせていただく機会がありました。下図が千代神社の正面からの写真です。御祭神は天の岩戸神事において踊りを舞われた天宇受売命さまです。


正面にみえる拝殿の後方にある本殿が国の重要文化財に指定されています。
第8代の孝元天皇の頃に創建と伝えられる古社ですが、往古からの鎮座地は佐和山の麓でした。ところが、四国平定をなしとげた秀吉が関白になり五奉行制をひいた天正13年(1585)に、石田光成が佐和山に築城するにあたり、城の下方にある千代神社を彦根山麓に移築いたしました。これが最初の移転でした。下図が佐和山城跡地の現在の風景です。



関ヶ原の合戦後に彦根藩主になった井伊直政が彦根城を築くにあたり、千代神社を再び佐和山の麓に戻しました。これが二回目の移転です。昭和40年代の高度成長期に境内地の上方にあったセメント工場からの粉塵公害がひどくなり、文化財保護委員会および文化庁長官の許可を得て現在地(御輿渡御などでゆかりの地)に3度目の移転をしたという経緯です。これはやむを得ない移転事例ではありましたが、最後の移転の原因となったセメント工場は平成8年に廃業になり、現在は、ショッピングセンターに生まれ変わっていました。下図は、その模様です。



author:bairinnet, category:文化財保護法, 10:32
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