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秋祭りの斎行と敬老の日

当社秋季例祭式典及び恒例の漢詩奉納祭が9月4日に斎行されました。昌泰4年(901年)正月25日、従二位右大臣という高い位から左大臣・藤原時平の讒訴(ざんそ)により、太宰員外帥として太宰府に左遷され、2年後の延喜3225日に太宰府の配所でお亡くなりになられた菅原道真公でしたが、その80年後の西暦987年に時の一条天皇により北野社(北野天満宮)において勅祭が行われて名誉快復が進められたことを記念して、当社では毎年9月4日午前に秋季例祭式典が、午後にはわが国の漢詩文大成に貢献された御祭神の遺徳を偲び、小松梅林吟社会員各位らによる第17回目の漢詩奉納祭が斎行されました。奉納漢詩より改元を祝う漢詩と梅林吟社の吟朋をおもう漢詩を読み下し文にて紹介します。

 

祝新生令和   白嶺 中 誠治

  皇子継承し 年紀更(あらたま)る

  国書の抜粋で改元生ず

  衆人歓喜の同意を表し

  永世の安寧と発展の声

 

梅林の吟朋を憶(おも)いて  明鳳 宮前外彌旺

  梅林吟社に為す有るの時

  志は大 情(こころ)は深し 喜び知るべく

  一意専心 詩もて友を会せば

  作詩は多彩にして 興は涯(はて)なし

 

 当社宮司が宮司職を兼務します小松天満宮十五社会の各社では、これから秋季例祭が順次斎行されます。無事に収穫の季節到来を迎えさせていただいた感謝の気持ちをささげる秋祭りですが、9月には敬老の祝日が設定されています。何故、敬老日が9月、それももともとは9月15日に設定されていたかを理解するには竹取物語が参考になります。

 御承知のように、中秋の名月の9月15日(旧暦8月15日)、かぐや姫を迎えに月から使いが来訪します。その折、天人はこれを着たらこの世のことは忘れてしまうという天の羽衣と「不死の薬」をもってきました。かぐや姫を慕う帝に、天にかえるためにお会いできないことを記した文と共にこの「不死の薬」を帝に贈ります。もう会えないことを知った帝は、この国の一番高い山でこの「不死の薬」を燃やすことを命じます。「富士山」の命名といわれています。月は満ち欠けを繰り返すことから、月には不死の力や若返りの力があると信じられ、中国の古い説話には月には不死の木があるとされました。この不死の木はモクセイ科のきれいな花と強い香りを発する霊樹とされていました。令和命名の由来となりました万葉集にも、これにちなむお歌があることから、わが国でも古くから月には若返りの力があると信じられていたようです。それゆえ、中秋の名月の9月15日に定められていた敬老の日は、熟年の先輩各位のこれまでの労苦に感謝すると共に若返っていただいて、若者や若輩者と力をあわせてよりよい郷土作りに助力いただくことを祈念する日といえます。また、秋祭りのご神前では、収穫の季節到来を寿ぎ感謝申し上げると共に、ご祭神の御神徳の若返りを祈念させていただくよい機会となります。

 

 当社秋季大祭のご神前には、古流柏葉会小松支部の方により応用花が供えられました。月にあるとされたモクセイ科の霊樹にちなみ、高い真の枝と中位の流の枝には、白くて香りのある花をつけるモクセイ科のソケイ(素馨)が、低い地(受)の枝にヒバを用い、それに秋の花のオミナエシやコギクや秋の色のユリの花をあわせて気品の中にも華やかさをみせる献花をお供えいただきました。

author:bairinnet, category:祭典・行事, 16:51
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筆供養神事ほかの夏祭り行事の斎行

 永延元年(987)八月五日北野社に一条天皇が勅使を参向され「北野天満天神」の神号が与えられ、北野祭を勅祭とされました。北野祭はその後、八月四日に祭日変更されましたが、無実の罪にて左遷された菅公の名誉が快復されたことをお祝いするとともに、収穫の季節到来を寿ぐ祭典です。当社では、明治の改暦以降は、94日に例祭が斎行されていますが、84日の当社では夏祭り行事が斎行されます。

 筆供養神事は、江戸時代末期から明治初期にかけて当社宮司家梅林院に寺子屋が開設されていた頃からのものと伝えられているもので、 一には筆の労に報い、二には筆道の上達、学業成就を祈願して、筆塚に廃筆を納める神事であります。「筆」と題する菅公の五言律詩の漢詩があります。筆の先はほそやかであってもその働きは決して軽いものではない。それゆえ、痛んでしまった筆はただ焼き捨てるのではなく、筆塚にほおむって筆の活動をとどめてあげよう。願わくは、筆がよい人の手ににぎられて、すばらしい名声をあげてほしい、といった趣旨の漢詩であります。

 図1は、神事のしつらえの様子を示しています。

筆を納める筆塚の左側に筆の形をした石塔が建立されています。この石塔は明治12年に金沢の石工によって作成されていますので、その頃から現在の神事の形が整えられたものと思います。

この神事は途中途絶えていましたが、東京オリンピック開催の翌年の昭和40年に筆正会を主宰する書道家の加藤石州師の働きかけにより復活し、以来、連綿と斎行されてきています。

 

 

 この筆型の石柱を神籬として、天神様にお下りいただき、神事斎行後に、参列の書道をまなぶお子さんや書道愛好家の皆さんの退筆や書道作品を各位の願いとともに筆塚に収めていただき、忌火によりお炊き上げをする神事であります。

 図2は筆塚に納めている様子であります。

 

 

 

 この筆供養神事に続いて、神殿では、小松天満宮奉賛会員祈願祭や小松天満宮持宮地域戦没者慰霊祭が斎行されました。夏祭りの神殿には、古流柏葉会小松支部の方による応用花が奉納されました。

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 02:20
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令和の御代の門出を祝う記念行事の紹介

 

 本日、新たな時代「令和」の門出をお祝いする二つの行事が斎行されました。

  1. 令和元年5月2日午前10時より11時過ぎまで、当社一円にて「新元号記念消防観閲式」が開催されました。

1)小松大橋上にて消防団19団らによる観閲行進

2)吉田姉妹による祝いの民謡

3)式典(当社対岸の梯川左岸歩道上)

4)水難者の救助訓練(当社南側の梯川において)

   ドローンから浮き輪を落とし,その後、ボートで近づいて救助。

 

 

5)当社輪中堤防上にて小松市内全域の消防団らによる一斉放水

 


 

   (正面から撮影したよい写真が5月3日付け北國新聞朝刊25面に掲載されています)

 

2.文化の華咲く小松「新元号を祝う集い」が、小松城ゆかりの芦城公園内の小松市公会堂で、5月2日午後1時半より午後4時過ぎまで開催されました。そのうちのいくつかを紹介いたします。

1)小松能楽会による能「鶴亀」(宝生流)の上演。

 

古代唐土の宮廷で行われた新春の節会に、皇帝への参賀のために集まった人々や皇帝の前にて、長寿の象徴である鶴と亀に舞を舞わせる様子を示しているのが以下の画像です。鶴と亀を舞うのは次代の能楽を担うお若い方です。

 

   (正面から撮影した良い写真が5月3日付け北陸中日新聞朝刊の10面に掲載)

 

2)コマツ HAPPY MELODY 児童合唱団によるわらべうた5曲の発表。小学生から中学生までの児童合唱団ですが、世界中どこでも歌えるようにとアカペラで全曲をうたいあげました。

 

 

3)小松詩吟協会による創作俳句8句と創作漢詩4首の吟詠。

 

 創作漢詩は小松梅林吟社会員による作詩、創作俳句は小松俳文学協会会員による作句です。詩吟では俳句は陽音階で、漢詩は陰音階で詠いますので、最初に創作俳句がその後に創作漢詩の吟詠がなされました。この令和の時代が、陰陽相和して新たなものを創造していく時代となるようにとの願いをこめての吟詠となりました。

 

 

この外にも、剣詩舞や邦楽舞踊や民謡諸団体による祝い唄や舞、太鼓の調べが披露され、納めに参加全員で「故郷」を合唱して、新元号をお祝いいたしました。

author:bairinnet, category:祭典・行事, 19:18
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春祭りの斉行と元号の話

 天皇陛下が皇后陛下とご結婚されてから60年となることを寿ぎ、小松天満宮春季例祭には、古流柏葉会の奉仕により礼華がお飾りされました。孔雀が羽根を広げているのをイメージして黄金こでまりが生けられ、鮮やかな緑色のルスカスを背景に、孔雀の顔をカラーであらわし、アリストロメリアとカスミ草で彩りを添えています。

 

 

小松天満宮十五社会氏子中や崇敬者よりの志納をおかざりし、小松天満宮ならびに十五社会の役員総代参列して、春季例祭の式典が厳かに斉行されました。式典後に、新元号発表を間近に控えて、元号と菅原道真公との係わりについて社頭講話がありました。

神武天皇から平成天皇まで、125代の天皇陛下がおられますが、元号は、大化の改新の大化から平成まで247の元号が制定されています。天皇の代替わり毎に新元号が制定されるのは通常ですが、それ以外に、南北朝時代に南朝および北朝がそれぞれ元号を制定し、また、吉凶との係わりで新元号が制定されてきました。吉凶の最たる例が「辛酉革命説」です。御祭神の菅原道真公の家系は儒学を家学とする学者の家系で、父も祖父も官僚の養成機関の教授職の文章博士を務め、公卿(参議)の位を受任しました。道真公は藤原摂関家の専横を防ぎたい宇多天皇の信頼を得て、国政を預かる右大臣の高位に昇られました。これに対して、道真公と対立する学派の三善清行は,昌泰3年(西暦900年)11月に道真公に引退勧告をしました。来年、昌泰4年が干支で辛酉年にあたり、辛酉革命説(辛酉の歳には天命が改まる、帝王が変わる、という中国後漢時代の鄭玄らの説)にもとづいて、引退を勧告したのです。道真公としては、帝に謀反の心などあろうはずもなく、若き醍醐天皇を補佐してほしいとの宇多上皇の信任に応えるためにも、この引退勧告を拒否されました。辛酉革命説にも与されなかったといえます。これに対して門閥派は、辛酉革命説の具現化をはかったわけです。道真公の娘さんが、宇多天皇の第三皇子の斉世親王に嫁いでいたため、兄にかわって帝位を奪わんとしているとの讒言を信じられた若き天皇により、太宰府に左遷されてしまいました。左遷後の昌泰4年に、三善清行は辛酉の歳には改元すべきと建議して、昌泰から延喜に改元され、これ以来、明治維新まで一部の例外を除いて、辛酉年には改元されるようになりました。このようなわけで、歴代天皇陛下の数よりも多い247の元号が存在します。

改元に際しては、帝の勅令により大臣より文章博士(もんじょはかせ)と式部大輔(しきぶのたゆう)に元号を出させます。文章博士も式部大輔も共に儒学者ですが、先例や中国古典の出典などを調べて

提案するのですが、採用された元号の提案者のことを勘申者(かんじんしゃ)といいます。勘申者として著名な家系は道真公の子孫の菅原家です。道真公の子孫は、幕末までに、高辻、唐橋、五条、東坊城、清岡、桑原の6家がありました。応仁の乱の開始された1467年の元号は応仁です。これから幕末の慶応まで、400年間に51の元号がありますが、このうち、50個の元号の勘申者を務めたのが菅原家の方です。このように元号と道真公には深いかかわりがあることがわかります。

author:bairinnet, category:祭典・行事, 21:07
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小松天満宮宝物館公開のご案内

       「利常公360回忌記念」 小松天満宮宝物館公開案内

 

  本年は 万治元年(1658)10月12日に小松城にて逝去された前田利常公(当社創健者)の150回忌となります。

  それを記念して下記のように当社宝物館公開を行いますので、ご案内申し上げます。

 

日時: 平成301014日(日)午前9時から午後3時まで

    平成301015日(月)午前9時から午後3時まで

 

展示内容

 

 1)当社参道は 神門を通って本殿方向に射し込む冬至の日の出と東参道を通って本殿に射し込む七夕の日の日の出という二つの日の出を受け入れるように北斗型参道をしています。七夕の日の出に籠めた創健者(利常公)の願いにかかる調査結果と関連宝物を展示します。この調査の進展に大きく貢献した徳川ミュージアム所蔵の「文昌星像」の写真展示も

徳川ミュージアムの許可を得て行います。

 

 2)当社蔵の加州新刀展

 

  * 明治維新150年記念: 慶応4年奉納刀(刀身4尺)

 

     今年が明治維新150周年となることから、明治改元の慶応4年正月、まさに鳥羽伏見の戦いの頃、小松の町人296人と七町の若連中の浄財をもとに製作された長さ4尺の奉納刀と奉納額を展示します。

 

      承応3年銘の薙刀 

 

    利常公はお孫さんで幼い藩主(加賀守綱利、後の綱紀卿)の元服の歳の承応3年に藩内の刀工22人に各1刀を謹作せしめて、刀工名と承応38月吉日を刻して高岡の瑞龍寺に寄進しました。現存するのはわずかに2刀といわれています。『微妙公御直言』には「御領国所々の大社の内に御籠物として御刀等仰せ附けられたのは、加賀守武運長久の為である」とかかれていますが、近時、当社にて、瑞龍寺奉納刀の22の一人である藤原家忠による薙刀が発見されましたので、今回、初展示いたします。なお、薙刀刀身には作刀名と共に承応3年8月吉日と、瑞龍寺奉納刀と同じ年月日が刻されています。

 

駐車場紹介

 

 下記の茶色表示のように、仮設駐車場4ヶ所を準備いたしましたが、駐車可能台数が限られていますので、極力、徒歩にてお参り頂きますようにお願いいたします。また、天満橋から鳥居にいたる坂路は歩行者もおられますので車での通行の際は、歩行者に注意して減速して通行下さい。仮設駐車場での事故は責任を負いかねますので、注意して駐車下さい。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 14:26
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梯川分水路竣工記念マーチングコンサートの斉行

昨年1119日に国交省北陸地方整備局他により斉行された梯川分水路竣工記念式典時に計画されていて、雨天時のため中止となっていました県立小松工業高等学校吹奏楽部によるマーチングコンサートが本日、当社鳥居前広場にて実施されました。本年は、当社が立地します天神町の地番が上牧町や梯町から天神町に変更登記されてから50年になることから、小松天満宮と天神町町内会の主催、小松市営天神町住宅自治会・駐車場管理組合の協賛、北國新聞社とラジオこまつの後援をえて、午前11時からおこなわれました。下記の画像1は,天満橋からの行進風景、画像2は、鳥居前広場でのコンサート風景です。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 19:59
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小松観光ボランティアガイドの会「ようこそ」当社に正式参拝

 昨年11月に竣工式典の実施された梯川(小松天満 宮)分水路工事では、当社を現地に残したまま河川流路を二手に分ける浮島(分水路)工法が採用されました。現在では、本丸櫓台(ほんまるろだい)と堀の石垣のみとなった小松城ですが、往事は金沢城の二倍の広さの敷地に、本丸を核に7つの島が浮かぶ「浮城」の景観を有していました。今回の工事で「浮島の宮」となった天満宮は、近世小松のまちづくりを進めた利常公の時代の姿をしのばせます。

 ダムや分水路といった土木構造物を観光資源として活用するインフラツーリズムが注目される中で、梯川分水路と当社を訪ねる方々も増えてきているため、本日、小松観光ボランティアガイドの会「ようこそ」の会員22名の方々が当社に正式参拝に訪れました。神事後に、当社神職より境内各所の観光ガイドのポイントについて説明させていただきました。

 梯川分水路と当社への観光ガイドをご希望の方は、小松観光ボランティアガイドの会のインターネットサイトをクリック下さい:

http://www.komatsuguide.jp/index.php/article/detail/volunteer/

なお、下図は記念撮影におさまるガイドの会の会員各位です。この方々がご案内いたしますので、どうかふるってガイドの会にお申し込み下さい。

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:35
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梅花咲きそろう中での春祭りの献花

 今年は御祭神の菅原道真公が大宰府にてお亡くなりになられた延喜3(902)225日(旧暦)より数えで1117年となりますが、明治の改暦より、当社の春祭りは325日に斎行されています。

 菅公は生涯に多くのお詩を詠まれていますが、菅公5歳の時の和歌が伝えられています。これは紅梅をよまれています:「うつくしや紅の色なる梅の花 阿呼(あこ)が顔にもつけたくぞある」。 代々文章博士を輩出した菅原家をはじめとする平安知識人の家では、一般に数えで67歳頃から読書し、9歳頃から漢詩をつくりはじめていたといわれます。菅公最初の作詩は11歳の時、「月夜に梅花を見る」と題する五言詩です:「月の輝くは晴れたる雪の如し、梅花は照れる星に似たり・・・」と詠まれていますから、白梅を詠んだ詩です。

 参道沿いに紅梅白梅咲きそろう325日に当社の春季例祭式典が斎行されました。

 

 

 

 ご神前には小松天満宮奉賛会、小松天満宮十五社会氏子中をはじめとする崇敬者各位よりのお供えが飾られ、また、古流柏葉会小松支部の方による時の花をしつらえた応用華が飾られました。左上方に伸びるように活けられているのが真(天に対応)の枝、それと釣り合うように右手前にあるのが流れ(人に対応)の枝、共に花材はレンギョウです。天の気をうけての新たな命の鼓動をあらわす受け(地に対応)の枝には椿が左下方に活けられています。中央に真っすぐに活けられているのが真前(しんまえ)ですが、君子蘭です。君子蘭は東洋画の画題として使用される四君子の一つで春をあらわす草木であり、花言葉は「高貴、誠実」です。摂関家の専横を防ぎ,能力ある人材登用を進めた宇多天皇・法皇の意を挺して努力され、無実の罪にて左遷された太宰府にてお亡くなりになられた菅公のお人柄をも偲ばせる献花です。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 19:34
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H30年初詣臨時駐車場のご案内

 

当社を分水路により現在地に保全する梯川分水路工事も完成しましたが、初詣期間中は分水路にかかる天満橋からの車両通行は出来ませんので、徒歩にてお参りください。また、下記のように、臨時駐車場3ヶ所(P1,P2P3)を準備いたしましたが、駐車可能台数が限られていますので、極力、徒歩にてお参り頂きますようにお願いいたします。3ヶ所の臨時駐車場は大晦日から正月3日までご利用いただけます。警備員が誘導する際には、その案内によりご参詣ください。


               臨時駐車場概略図

 

 

以下に各臨時駐車場の現況画像を示しますので参考にしてください。

 

 

次に、P2の現況画像を示します。

 

 

次に、P3の現況画像を示します。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 05:54
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梯川分水路竣工記念の諸行事の斉行

長年工事が行われていました梯川分水路の竣工を記念しての事業官庁等による記念式典が来たる1119日に斉行されることになりました。これに先立ち、各種の記念行事が当社境内にて執り行われました。

111日には、当社創建360周年と分水路完成を祝して、創作漢詩石碑奉納式と除幕式が斉行されました。当社御祭神の菅原道真公は、中国固有の漢詩文学の模倣を脱して独自の日本的漢詩文を大成して、日本文学史上最も精彩ある平安文学を開く一つの原動力となった方です。第二次大戦後の欧米文化の大流入と共に漢詩文は長らく影を潜めてしまいました。そうした時代風潮の中でたゆまず創作漢詩を続けられた郷土の漢詩人が大西 勉殿であり、菅公千百年祭における創作漢詩奉納を契機に氏が創設されたのが「小松梅林吟社」であります。この度、重なる慶事を祝い、小松梅林吟社有志の方により「創作漢詩石碑」一基が冬至の日の出線上近くに奉納されました。下図は除幕式後の画像です。

 

 

冬至の日の出は当社の神門から本殿方向に差し込んできますが、神門に差し込む朝日は白山山系の妙法山上から射し込んできます。石碑は四面からなり、各面に漢詩が刻されます。まず、白山の方向を向いた側に、親子二代にわたり漢詩創作に親しまれている石田寛人殿の白山を詠んだ漢詩を、社殿方向に当社早春風景を詠んだ大西勉殿の漢詩を、残り二面には「小松梅林吟社」会員より全国的な創作漢詩大会に最初に入賞された安田裕子殿と能登外茂次殿の漢詩が刻されています。

11月1日から7日にかけては当社梅園奥の渡り廊下にて、小松梅林吟社各位による創作漢詩展が開催されました。

 

この漢詩展には、ホールインワンを達成された会員を祝しての漢詩(下図)など多彩な内容の創作漢詩が展示され、多くの見学者で賑わいました。

 

 10月30日には、創建360周年を祝しての能楽奉納が去る6月3日に開催されたことを記念しての能楽奉納記念碑が小松能楽会有志各位により社殿前方に奉納され、また、11月4日には郷土の書家であります山本穆子殿により梅園内に紅梅の献木がなされました。

 11月6日-7日の両日にわたり、竣工間近の分水路見学会が金沢河川国道事務所職員各位の案内により多数の参加者を迎えて開催されました。

 

 

また、6日から7日の両日に当社宝物館の一般公開が行われ、当社創建の棟札や本多政長による当社縁起書や江戸琳派の酒井抱一や当社社頭を描いた山本光一の扇面画や梯川対岸より当社方向を望んでの山水画(久保田米僊画)などの宝物展示に加えて、河川改修にともなう諸調査により明らかになった当社の文化・自然的特徴をとりまとめたパネル展示が行われました。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 06:33
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