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梯川分水路の水位低下効果、台風5号により実証さる

 

本ブログでは、ほぼ完成している梯川分水路の水位低下効果について報告いたします。事業官庁の金沢河川国道事務所は、昭和46年以来工事が進められてきた河口から6kmまでの川幅を1.5倍に広げる河川拡幅と上流の赤瀬ダムの建設により2mの水位低下効果が発揮されたことが、今回の台風5号により判明したと814日に公表いたしました(金沢河川国道事務所のホームページ参照)。本ブログでは、河口から3km付近に立地する当社境内地を迂回する形で建設された梯川分水路が造成されていなかった時(平成25729日発生の大水)と造成・通水されていた今回の台風5号来襲時の、小松大橋(河口から3.2km)での最高水位と累積雨量の比較にもとづいて、分水路の水位低下効果について報告いたします。

 

目次

1)梯川における河川整備事業

2)分水路方式による河川整備の実施

3)梯川におけるこれまでの出水状況:最高水位と累積雨量

4)台風5号の襲来と梯川分水路の水位低下効果

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本文

 

1)梯川における河川整備事業

 

 明治30年に石川県管理となって以来、石川県小松市を流れる梯川では明治44-大正2年、昭和5年-11年、昭和12-18年にかけて改修工事が実施され、昭和46年度からは国による直轄事業として川幅を1.5倍に広げる等の河川整備事業が実施され、河口から3km付近に立地する当社付近を除いて、河口から6km付近までの引堤工事が完成しています。これまでに、河口から5km(小松新橋)から6km(白江大橋)にかけての拡幅により70cmの水位低減効果を発揮していることが判明しています(詳細は、金沢河川国道事務所HPを参照)。

 

2)分水路方式による河川整備の実施

 

 当社境内地を中の島とする分水路方式により川幅を1.5倍に拡幅する分水路整備事業が平成24年から開始され、平成29年7月末現在で分水路は通水状態になり、今年の11月中に付帯設備を含めて全体が完成することになっています。(詳細は、金沢河川国道事務所HPを参照)。

 

3)梯川におけるこれまでの出水状況:最高水位と累積雨量

 

 梯川におけるこれまでの最高水位は、河口から9.9kmにある埴田観測所において、平成25年7月29日の午後5時20分に観測された5.23m(水位はT.P単位)です。当社付近にある小松大橋(河口から3.2km)のこの日の水位は午後6時で3.76m、午前3時から午後6時までの15時間(降り始めから最高水位を記録する迄の経過時間)での累積雨量は217mmでした。この平成25年7月29日午後5時半の小松大橋付近の画像が図1です。この時の水位は3.7mでした。

 

 

 川は左から右に流れ下っていて、手前は当社の南側に工事中の輪中堤建設のための鋼管です。小松大橋の橋脚ぎりぎりにまで水位が上昇しています。この時は、当社境内域からの排水路が未整備のため、境内全域が水没してしまい、その対応におわれて対岸からの画像をとれませんでした。そこで、同様の河川水位になった平成18年7月17日午前10時に対岸(梯川の左岸側)から当社をみた画像が図2です。この時の水位は3.73mでした。

 

 

 

右岸堤防の天端近くまで河川水位が上昇していることがわかります。

 河口付近から改修のすすんでいました梯川の改修工事は、現在では、当社をとりまく分水路も概成しています。そのような時に来襲したのが今回の台風5号でした。平成2988日の午前11時に、上流の埴田観測所(河口から9.9km)では、87日午後10時から88日午前11時までの累積雨量が189mmで、午前11時に最高水位4.56mを記録しました。この水位は、平成25年の時の水位よりは低めでした。

 これに対して河口から3.2kmにある当社付近の小松大橋では前日の午後10時から88日の正午までの15時間での累積雨量が196mmで、この正午に最高水位2.58mを記録しました。

 最高水位までの累積降雨量では平成25729日の午前3時から午後6時までの15時間で217mmに対して、平成298月の台風5号来襲時の場合は、87日の午後10時から88日の正午までの15時間での 196mmですから、平成25年の方がやや多くなっています。

 河口より3.0km付近の当社より下流側の河川拡幅工事の完成した平成17年の1年後の平成18717日の大雨時には降り始め(前日の午後11時)から小松大橋付近(河口から3.3km)での最高水位3.81mを記録した17日午前9時までの11時間で累積雨量149mmでした。平成25729日の場合は、最高水位3.76mを達成した午後6時までの15時間で累積雨量217mmと平成18年よりも68mmも累積雨量が多かったにもかかわらず最高水位はやや低くなっています。

 最初の降雨までに降雨がない場合と降雨があった場合では、河川への流出量が異なると考えられます。そこで、小松大橋での最高水位を記録するまでの48時間累積雨量を、梯川の雨量の基準観測点であります尾小屋雨量観測所でのデータを調べてみます。平成25727日午後7時から729日午後6時までの48時間雨量は217ミリと15時間雨量と変わりません。ところが、平成18715日午前10時から717日午前9時までの48時間雨量は256ミリと11時間雨量よりも大幅に増加し、平成257月の時よりも累積雨量が40ミリも増加しています。

 一般的にいって、降雨量が長時間かけて降った場合よりも短時間で降った場合の方が、地域の市街化率が高まっている現代では、水位にあたえる影響が大になっていると考えられます。それでも、H25年時よりも48時間雨量がかなり多くなっているH18年時における河川の最高水位が高めになっていることは、48時間累積雨量の与える影響も無視出来ないことを示しています。

 

4)台風5号の襲来と梯川分水路の水位低下効果

 

 今回のH298月の場合は、48時間雨量が199mm15時間雨量が196mmとなり、H25年時と同様に、短時間での降雨にあたり、経過時間も同じです。経過時間15時間の累積雨量がH25年の216mmに対してH29年が196mmです。

 H25729日大水の場合は、累積雨量216mmの午後6時に最高水位を記録しましたが、累積雨量198mmの午後5時に最高水位3.6m、累積雨量180mmの午後4時に最高水位3.37mを記録していました。これより線形補間すると、累積雨量196mmでの最高水位は3.574mと推定されます。H25729日大水において、最高水位までの累積雨量が196mmであったとした時の最高水位は3.574mと推定されます。

 

 実際に計測された最高水位は、H25729日の推定最高水位3.574mに対して、今回の台風5号来襲時の最高水位は2.58mとおよそ1m程度減少しました。大きく減少したといってよいでしょう。

 

 平成2988日の正午過ぎの小松大橋付近の画像が図3です。

 

 

図1の平成25729日の小松大橋の橋脚の河川水位画像に比較しても平成2988日の河川水位は低くなっていることがわかります。

  88日の同時刻に左岸側から右岸側に構築された輪中堤を望んだ画像が図4です。輪中堤の向こうに当社境内が望めます。また、平常時の同様の画像が図5です。

 

 

 

 

 平成25729日と同程度の降雨量にもかかわらず河川水位が平成25年時の水位よりも小松大橋付近で上昇しなかったことの主原因は、平成25年から平成29年にかけて建設された梯川の分水路です。図6は平成2988日の正午過ぎにおける分水路の画像です。また、図7は平水時における分水路の画像です。

 

 

 分水路の深さは梯川本川と同じ深さですから、図6において水位の上にでている輪中堤の段数は、図4に示す本川側の輪中堤の段数(3段)と同様になっています。

 以上より、梯川で過去最高水位を記録した平成25729日の降雨量規模に近い降雨量規模となった今回の台風5号襲来時の小松大橋での最高水位が1m近く低下したことは、分水路による梯川改修効果を実証しているといえます。

 なお、平成25年時に経験した当社境内地における地下水位の上昇による高木の根腐れが、排水路の完成した当社境内地において再現するかどうかは、今しばらく地下水位の動向を見守る必要があります。

author:bairinnet, category:神社と河川改修, 05:18
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能舞台における献花式(記念行事その4)

 

 創建360周年記念行事(その4)として、平成29年6月4日(日)午後2時半より、神事につづいて能舞台において、古流柏葉会の奉仕による献花式が斉行されました。何故鏡板とよばれるかについては、諸説があるようですが、後述する能楽用語サイトによれば、観客席におられる神様を映す板といわれるからとされます。古事記に記される天の岩戸のお出ましに使用された鏡について記す古事記の記述からしても納得しうる説といえます。それゆえ、鏡板の前での献花作法は、まさしく神様にお見せするための作法といえます。

図1は献花奉仕中の様子を示しています。

 

2は能舞台鏡板前に並べられた献花を示しています。

 

 

当社鏡板に描かれた松と梅、脇の鏡板に描かれた若竹にあわせて、中央向かって右側には梅を主位にして、松とつばきと菊の花を添えて生けられ、中央向かって左側には松を主位にして、つばきと菊の花を添えて生けられています。当社社殿の連子窓の格狭間(こうざま)には、上位(向かって右側)に梅が、下位(向かって左側)に松が彫られています。また、能舞台上では、観客に向かって左側が上位といわれますので、それらに合わせて飾られています。両脇には、控の鏡板の画にあわせて、若竹を主位にして、つばきとシャクヤクの花を添えて生けられています。なお、能楽用語に関しては、インターネットアドレス(www.the-noh.com/jp/index/html)を参照さしていただきました。

 社殿には、古流柏葉会家元殿による「彩流華 風の華」が奉納されました。

 

 

つばきを花材に、風が舞い降りてきた様子を生けていただきました。献花式当日はさわやかな風が境内を吹き抜け、生長の季節にふさわしく、また、創建360周年(6回目の還暦の歳)を迎え、新たな旅立ちの当社にふさわしい献花でした。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:29
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能舞台開きにおける能楽奉納(記念行事その3)

 

 平成29年6月3日(土)午後1時半より、小松能楽会により小松天満宮能舞台において能楽奉納式が斉行されました。当社の能舞台は、小松の能楽愛好家の方々の募金により、明治維新後に金沢に残されていた波吉太夫家の能舞台を移築し、日清戦争後の明治29年10月に能舞台開が行われたものです。昭和十年代の梯川改修工事により西方広場に移築されましたが、平成の河川改修により明治時代に建てられていた故地に戻って再建されました。

 能楽奉納では最初に義本高明氏らによる謡「翁」が奉納され、続いて、土居尚子氏らによる仕舞「老松」と長野 裕氏らによる舞囃子「高砂」が奉納されました。

 能楽奉納に先立ち、小松市長さんと小松市議会議長さんより創建360周年と能舞台開きを祝してご挨拶を頂きました(図1)。謡「翁」の奉納風景が図2に、仕舞「老松」の奉納風景が図3に、舞囃子「高砂」の奉納風景が図4に、また、観賞されている観客各位をあらわすのが図5になります。

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:23
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記念講演会と宝物館公開(記念行事その2)

 平成2963日(土)御前10時より1140分まで、小松市立公会堂4階会議室にて、筑波大学教授綿抜豊昭氏による記念講演会が開催されました。

当社初代宮司能順は明暦2(1656)29歳にて小松天満宮宮司に就任し、79歳にて亡くなるまで、50年近くの長きにわたり当社と北野天満宮の両社に奉職して、当時の文化の中心であった京都と加賀小松の文化交流に貢献いたしました。江戸時代連歌の第一人者といわれたこの能順を中心とする人々の業績について、当社宝物をふまえつつ講演していただきました。講演会後の63日午後と66日には、新装なった小松天満宮宝物館において講演に関連する宝物等が一般公開されました。また、授与所では綿抜教授の著書「小松天満宮と能順」の頒布が開始されました。以下の図1から図2は講演会の様子を、図3は多くの方々に来場いただきました宝物館公開で入場をまつ人々の様子です。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:15
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白梅の植樹式(記念行事その1)

小松天満宮創建360周年を記念して、平成2962日に、稚松校下町内会連合会により、竣工なった宝物館前庭に白梅が献木されました。

 図1、図2は植樹式に参加された小松市長さんと町内会長さん方です。

 

 

図3は白梅を植え込む様子を、図4は植栽された白梅を示しています。

 

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 20:09
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記念行事期間中の臨時駐車場のご案内

小松天満宮創建360周年記念行事中の臨時駐車場のご案内

 

小松天満宮において記念行事の斉行される 6月3日、4日、6日には、下記のP1とP2の臨時駐車場をご利用下さい。

 

  

author:bairinnet, category:祭典・行事, 09:36
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小松天満宮能舞台における2つの奉納行事


小松天満宮創建360周年記念行事として、加賀藩ゆかりの能舞台において以下の記念行事を催行いたします。

 

1)平成29年6月3日(土)午後1時半より2時

    能楽奉納 

 

2)平成29年6月4日(日) 午後2時半より3時

    献花式

 

 

1)能楽(謡・仕舞・舞囃子)の奉納

 

    (6月3日(土)午後1時半より午後2時)

 

  • 小松城での町入能

 関ヶ原の戦の翌年、慶長六年(1601)に加賀藩二代藩主利長公は京都よりの帰途、小松城において後の三代利常公(幼名猿千代君)に対面され、小松住の諸橋太夫、波吉太夫に命じて市人を城中に入れての町入能を催されました。その後、三代藩主になった利常公は、寛永十六年(1639三国分立して小松城に退隠しましたが、城と町割の概成した慶安四年(1651)正月二日と四日に、小松の惣町中へ見物を許して小松城にて町入能を催しています。こうした町入能は小松の町に現代まで続く能楽伝統の源流となっているのであります。

 

  • 小松天満宮の能舞台

 利長公による小松城での町入能に奉仕した諸橋太夫と波吉太夫は、共にその後、代々、加賀藩能役者を勤めました。明治維新後に金沢に残されていた波吉太夫家の能舞台は、小松の能楽愛好家の方々の募金により当社に移築されました。明治27年5に上棟祭が斎行されましたが、直後に勃発した日清戦争のため、造営工事は中断し、野ざらしのままで放置されていました。日清戦争後に工事が再開され、鏡板を除いてほぼ新築同様の能舞台開が斉行されましたのは明治二十九年十月十六日、十七日でありました。能舞台開番組の最初は佐野吉之助、筒井傳七らによる「高砂」でありました。

 当社の能舞台は,その後、昭和十年代の梯川改修工事により西方広場に移築されましたが、平成の河川改修により明治時代に建てられていた故地に戻って再建されました。

 

1) 当社能舞台開における「小松能楽会」による能楽奉納番組

平成の河川改修による移築にともなう能舞台開においては、「小松能楽会」の各位に下記の演目を奉納していただきます。

 

素 謡 「翁」

 謡曲「翁」は天下太平・国土安穏・千秋万歳・五穀豊穣を祈る儀式として示された目出度い曲目です。翁が、祝儀で謡うことにより、眠っていた天地の精霊が目覚め躍動するのです。目出度い式典において最初に謡う曲です。

 

仕舞 「老松」

 太宰府天満宮(菅原道真公の菩提寺が「安楽寺」であったことから、安楽寺天満宮ともよばれていました)へ道真公を慕って飛んできた梅(飛梅と言われている)と松(後を追った老松、追松とも解釈される)を称えてあり、老松の神を中心にして梅を配した菅公ゆかりの曲目であります。松は、長寿を寿ぎ、梅は若い美しさを称えています。梅は、文学が盛んな時は、色も匂いも優れているので“好文木”と名付けられたことが、語られています。日本の国歌“君が代”の歌詞にも「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と、「老 松」の一部より抜粋されています。

 

舞囃子 「高 砂」 

明治二十九年の当社能舞台開で最初に演じられた曲目であります。また、藩政期に加賀藩の最も重要な年中行事に、正月二日の夜の謡はじめ(松囃子とも言う)の式があり、この時の囃子にも「高 砂」が謡われているように、お目出度い曲目であります。竹の熊手を持つ老翁と杉の  ほうき木  を持つ老婆が舞台となっている曲目です。高砂の松と住吉の松とは遠く離れているのに、なぜ  相生の松 と言われるのでしょうか。老翁は、私は住吉(大阪)に住む松であり、老婆は、高砂(兵庫県高砂市)に住む松であると答え夫婦と言うものは、例え遠く離れて暮らそうが 心を通わせあって 生きていくものだと答えるのでした。めでたい席上で良くこの曲が謡われるのも そのような意味があるのです。

   

 

 

2)献花式 (6月4日(日)午後2時半より午後3時)

 

  • 華道の歴史

 平安時代にかかれた「枕草子」に、「勾欄のもとに、あおき瓶のおほきなるをすえて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば。。。」と書かれたように、「いけばな」は古くから美の対象として親しまれてきました。現在に伝わる華道の歴史がはじまりますのは、上流階級の住居形態が寝殿造から床の間をもつ書院造に変化していった室町時代といわれます。床の間を装飾する立花

( りっか ) の様式が発達し、また、茶道の隆盛とともに茶席に飾られる茶花の様式も編み出されました。

 長い戦乱の世から平和な江戸時代になりますと、改めて人倫の道(人が日常生活において常にまもるべき道)の大切さが再認識され、徳川幕府が朱子学を官学としたこともあり、伝統的な東洋思想への関心が高まってきました。この時代風潮を背景に、江戸時代後期には、陰陽五行や天地人といった格式の中に自然の姿を生かす「

( かく ) ( ばな ) 」の様式が生み出されました。

 明治維新後には、華麗な西洋花や西洋建築が我が国に導入されると共に、植物や自然の個性を自由にいかした生け方としての「盛花

( もりばな ) 」の様式が編み出されてきました。 こうした「いけばな」の歴史と共に諸流派が、それぞれの流派の原点をふまえた伝統と現代社会の欲求をふまえた革新を両輪として、活発に活動しているのが現在の華道といえます。

 

  • 小松天満宮における「古流柏葉会」の献花

 

 創建360周年にあたり、藩政期の文化をつたえる当社能舞台において、「生花( せいか ) 」の伝統を受け継ぎ、平成14年斉行の菅公千百年祭をはじめ当社祭礼時の献花にご奉仕いただいてきています「古流柏葉会」に献花をしていただく次第です。

  ちなみに、江戸期の古流の家元は江戸の加賀藩上屋敷と縁が深く、将軍の加賀藩上屋敷への御成りや最後の藩主の祝言のときに床の間や各部屋に花を生けた克明な記録が多数残っています。その関係で江戸時代後半から江戸のみならず金沢や南加賀の門弟が多数おりました。

author:bairinnet, category:-, 04:46
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小松天満宮創建360周年記念行事のおしらせ

明暦3年(1657)年に加賀藩三代で小松城にて幼少の藩主にかわり監国されていた前田利常公により、御祭神菅原道真公の御霊を京都北野天満宮よりお招きして、当社が創建されてから今年で360周年になります。また、平成の梯川改修事業により移築工事中でありました当社宝物館と能舞台も無事竣工いたしました。

  今年は、これらの節目の時を迎えています。殖産興業や賑わいまちづくりにも力をそそがれ、裏千家初代仙叟宗室居士や当社初代宮司(別当)能順を小松に招いて郷土加賀小松の文化の礎を築かれた前田利常公をお祀りする小松神社例祭・小松商工祭の斉行される6月5日前後に、小松天満宮創建360周年記念事業を斉行いたします。

 

 

author:bairinnet, category:祭典・行事, 04:07
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小松天満宮宝物館公開のお知らせ

1)宝物館公開のおしらせ

   

当社初代宮司能順は29歳にて小松天満宮宮司に就任し、79歳にて亡くなるまで、50年近くのの長きにわたり当社と北野天満宮の両社に奉職して、当時の文化の中心であった京都と加賀小松の文化交流に貢献いたしました。この能順を中心とする人々の業績にかかる当社宝物を長年にわたり調査・研究してこられた筑波大学教授綿抜豊昭氏による記念講演会と関連する宝物の展示を行う当社宝物館公開を下記のように開催いたします。

 

 

記念講演会

 日時: 平成29年6月3日(土)午前10時より11時半

 場所: 小松市公会堂4階大会議室(先着100名様)

小松天満宮宝物館公開

 日時: 平成29年6月3日(土)午後2時より午後4時

     平成29年6月6日(火)午前9時より午後4時

 場所: 小松天満宮宝物館

 

2)記念出版物頒布のお知らせ

 

小松天満宮創建360周年を記念しての出版物とその購入手続きについて下記のようにご案内いたします。

                                                        小松天満宮社務所

―――――――――――――― 記 ―――――――――――――

著者: 綿抜豊昭

書名: 小松天満宮と能順

内容: 加賀藩三代前田利常公により京都北野天満宮より小松天満宮の初代別当(宮司)に招かれた松雲庵(後に梅林院)能順の、小松天満宮と北野天満宮における業績の紹介と共に、連歌と俳諧の違い、霊元院と能順、能順と越前屋歓生、能順と芭蕉など、能順をとりまく人々とのかかわりについても関連古文書に依拠してとりまとめた小冊子です。

価格: 税込み 2000円

    郵送の場合は、郵送料 180円

申込み方法 小松天満宮授与所にて販売しています。

なお、郵送ご希望の方は、FAX 0761-22-9128 にて、 

住所、〒番号、氏名、書名 を明記のうえ、お申し込み下さい。

 社務所より郵便振替用紙をお送りいたしますので、金額 2180円を送金下さい。入金後、社務所より送本いたします。なお、郵便局発行の振込控えでもって領収書とさせて頂きます。

                                                          以上

author:bairinnet, category:祭典・行事, 17:00
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スダジイへの摘果剤散布と樹勢快復のきざし

 

 前回の散布より6日目になる本日早朝 無風の好状態のもと、スダジイへの摘果剤散布が実施されました。図1は本日のスダジイ全景ですが、全体に開花していることがわかります。

 

 

一昨年より散布に従事している人の話では、「昨年まではクレーンでスダジイ内部に楽に侵入できましたが、今年は幹ぶきも葉のつきも盛んで、樹勢が快復していることが実感できました。先端の枝葉の枯れている付近からも新芽が出てきている様子です」とのことでした。

 

 

 昨年、河川改修工事による排水路敷設も終わり(H28.8.13日号)の本ブログで紹介、それにともないスダジイ根元の養生が完了していますので、根先が伸びていってくれれば、葉先の枯れの快復も期待できそうです。

 平成9年の河川法改正をうけての河川改修工事の目標の一つは、環境保全です。この法改正後に施工されたのが梯川河川改修ですから、スダジイ大木の樹勢が回復して、平成9年河川法改正のレガシーの一つして後世に記憶されることを期待しています。

 

 

 

author:bairinnet, category:鎮守の森と河川改修, 09:19
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